1996年、就職氷河期真っ最中。

大学を卒業した時、就職先なんてほとんど選べませんでした。

通学していた服飾系の女子大には正規職に就いた子は多くはありませんでした。

 

当時はインターネットはなく、就職セミナーに参加して企業説明会に参加申し込みするか、

四季報や大学の資料室に行って、企業を探し、手書きで応募はがきを書いていた時代です。

 

大学1年生の頃、大手企業の人事部でアルバイトをしていていました。

入社希望者の学生から届くはがきを大学ごとに仕分けする作業が仕事です。

東大、慶大、理科大、日大とか…。

大学名で入社できるか否かをふるいにかけていたのです。

私の大学は「その他」に仕分けられていたのに、淡々と作業していた当時の私。

今思うとひどいですが、当時は何にも考えてなかったんだなと思います。

 

私が就職したのは大きい総合スーパー。衣料品の販売です。

50代の店長が朝礼でどなったり、長時間労働で大変だったりしましたが、それなりに楽しかったです。

会社が面白いと思えなくなってきたのは、4年経った26歳頃でした。

 

いつまでたっても仕事は変わらないし、

ベースアップはほとんどなくて給料は横ばい。

ボーナスもどんどん減ってくる。

パートさんはいい人ばかりでしたが

「10年勤めて時給は年10円しか上がらなかった」

というような環境です。

「このまま、この会社で一生終わっちゃうのかな…」と思ったら、

自分の人生が何だかとてもつまらないような気がしてしまったのです。

1999年に派遣対象業務の自由化があり、大学の友人の中でも派遣で働く人が多くなっていました。

就職情報誌を見ると派遣のメリットばかりが描かれる…そんな時代です。

 

転職した2番目の会社は、正規職でしたが、

企業規模は最初の会社とは全然違う小さな会社でした。

アパレル関係の会社で、長時間勤務は当たり前、

仕事は教えてもらえない(見て覚えろ形式)。

1番目の会社で「少ない」と思っていたボーナスが半分くらいになってしまったこと。

営業なので残業代はゼロつかないのに定時より2,3時間遅いのが常態化していて帰れないこと。

朝礼には大きな日の丸が社長の後ろにでかでかと飾られること。

有給を使って参加する会社の宿泊研修。

全てがショックでした。

男性ばかりの仕事の中で女性は私ひとり。

(男性が多いと知りつつも希望した職種だったため、その点で会社に非はありません)

ある日来てみると突然誰かが退社していて、

次々人が入れ替わるブラックな会社でした。

結局、何の仕事も覚えないまま6か月勤めて、

身体が動かなくなり辞めました。

 

3番目の会社は1年契約のデパートの販売員でした。

「小さい会社はこりごり。男性ばかりは怖い。長時間労働は絶対嫌だ」というのがその時の私の思いでした。

契約社員なので、額面で給料は165000円。

「年収300万円で貯金生活」という本をお手本に生活していました。(私の年収は200万円でしたが・・・)

・朝晩のコーヒー代、年間でいくらに?

・外食をやめたら年間いくらに?

・できるだけ図書館を使おう

こうした提案を実践し、1日500円の予算を決めて、それで賄うように心がけました。

お金がかかるので休日は出掛けないようにします。

実家暮らしだったので、

住まいの心配はありませんでしたが、

それでも1日500円生活を続けると心がすさんできました。

 

同じ契約で働いていた女性がいました。

小さな意地悪をされることもあり、そんなに仲良くありませんでした。

私が次の会社に正規職での転職が決まった時の彼女の言葉が忘れられません。

「正直、うらやましい。私なんてアパート暮らしでカツカツだけど、もう転職もできるかわからない」

あの女性は今の私と同じくらいの年齢でした。

 

2022年12月1日、田村智子さんの質問を聞いて

あの頃の生活が思い出されて仕方ありませんでした。



そういう、殺伐としたゆとりのない気持ちは「政治」が生み出したものだったんだな、と改めて思います。

「ゆがんだ構造」がなければ、竹中平蔵がいなければ、今とは違う人生になっていたかもしれません。

労働者派遣法の規制緩和と非正規の割合の推移なんて、当時の私は何にも考えていませんでした。

生きていると誰でも政治の影響を受けます。

本人の意思とは全く関係なく。

 

格差と差別がない社会、平等な社会に向かって

政治を進めていきたいと、

心から願うのはあの頃の経験が私の原点のひとつだからなのかもしれません。

「望んで非正規になる」なんてことを、この後に及んで総理に言ってほしくありません。

正規は死ぬほど働くこと、非正規は安く使うことはセットになっていて、その有り様は構造的に政治が作ってきたものです。


長文になってしまいました。

最後まで読んでくださってありがとうございます。