愛は、あとどれぐらい残っていますか? | 自分を大切にしたくなった時のアートセラピー@あさまるサロン

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ふと自分を見つめ直したり、振り返ってみたくなる人生のタイミングに、あなたの足元でこのブログが見つかりますように。一時足をとめて、どうぞ読んでいってください。あなたの道はすでに拓かれていて、先に進む力はあなたの中にあることを、気づけますように。

新春第2弾【朗読交流会&ワークセッション】

 

3色パステルアート講座に続き、第2弾は朗読会です。


【こんなことをしています】

♡「大切な人の看取り方」(デニー・コープ〈ホスピス看護士〉著/上野容子訳)の朗読
♡旅立ちのワーク
♡賢者のワーク
♡ランチ&交流
 

次回

2017年1月11日(水)この日だけ水曜日

2017年1月26日(木)

基本的に毎月第2、第4木曜日

 

場所:あさまるサロン(東京都町田市鶴川)

時間:10:00〜15:00(発酵酵素玄米の軽ランチつき)

会費:5000円(税込)

定員:6名(駐車場2台あり 予約をお早めにお願いします)

※ 講座内容の詳細は、メニュー「朗読」よりご覧ください

お申込み・お問い合わせはこちらから

 

 

 

 

さて、表題です。

 

 

「愛は、あとどれくらい残っていますか?」

 

あなたがもし、大切な家族あるいは友人、あるいは目の前の大切な命に寄り添い、介護あるいは看護している人だとしたら。

 

あなたの心の器は、100%の愛で満ちているでしょうか。

50%くらいは残っているでしょうか。

あるいはもうほとんどゼロに近いと感じているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

もはや愛なんて。残っているのだろうか。。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

言うに言われぬ、そんな葛藤をあなたが抱えているとしたら。。

 

 

 

 

 

どうぞ、ぜひ以下の物語を読んでください。

 

愛に満ちている人、興味ない方は、どうぞ読まないでください。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

  

 

その患者さんは、「悪性リンパ腫」。ガンの中でも非常に見つかりにくい悪性のもので、しかも脳に発症した珍しいケースでした。脳梗塞に似た症状で倒れて入院してから、口から食べられず、話せず、目が見えなくなり、体が動かなくなり棒のように硬直していくまでわずか数ヶ月でした。脳は人の思考、運動機能、生命維持を司る部分なので、脳全体に飛び散った腫瘍は、人としての機能をあっという間に奪っていきました。

 

 患者さんは、社会的には責任ある役割を担い、家庭においては3人の子の父親、妻と5人家族の大黒柱としての役割を持った、壮年期の男性でした。

 棒のようになった男性は、これらすべての機能を失ったのでした。キャッチボールをしてくれた父親は、小さな息子の思い出と夢になり、将来を語り合ったであろう存在は幻となり。妻にとっての生涯の伴侶は、ついえた希望となりました。

 

 医療の現場においては、医療は人の生命機能を回復改善させるところなので、治療が望めない患者は、治療サイドから離れ、生命を維持するためのみの措置を取られることになりました。

 

 人としての機能を失ったもの。

 人格が変わりはて、意志の疎通もはかれなくなった家族を目の前にして、それでもその人には、命としての存在価値があるよと、あなたは声をかけることができるでしょうか。

 

 家族にしか見ることのできない、人の最も弱く醜い部分。外からは絶対に見えよようのない、家族、それも夫婦しか知らない姿。

毎日の病院通い、回復の見込みのない、日々の絶望感。見返りのない、無反応、あるいは不快な反応。疲弊した身体に最もこたえるのは、愛は枯渇してしまってるのではないかという罪悪感。

 

 

 

 ポケットを失ったドラえもんを、それでも一番の友だちだよ、と、のび太は即答できたでしょうか。自分に都合のいいものが次々に出てくるポケットが無い、ただのドラえもんを、君が必要だよと、躊躇なしに言えたでしょうか。

のび太自身の不安、自信のなさ、喪失感と、のび太はどう闘ったのでしょうか。自身の怯えを、超える決心をさせるものは、一体何だったのでしょうか。

 

 

 

 

 患者の男性は、機能回復の見込めない患者として、生命維持のみを目的とした病院へと移送されていきました。病態は日増しに悪化し、痙攣、嘔吐、水をかぶったような大量発汗など激しい発作を繰り返していました。

 

 

 

 男性の過ごした最期の時間を、これからお伝えしたいと思います。

 

 闘病が始まってから9ヶ月後。治療を断念してから3ヶ月後に、男性は60歳の生涯を閉じました。男性が息を引き取ったのは、自分の家で。家族に看取られながらでした。男性の妻が、夫を自宅で看取ろうと決心したのは、疲労と絶望の果てにたどりついた選択でした。すべての機能を失われた者でも、その魂を救うことはできるはずだと、信じたからでした。

 

 バラの棘が指先に一本刺さっただけで、私たちは大変なストレスを感じるものです。身体中にチューブを差し込まれ、ただでさえ病に苦しみ、不安と恐れと孤独感でいっぱいの中で、自分の体をコントロールできないストレスはどれほどの苦しみでしょうか。体と心は一体である、ということを思えば、この状態が安らぎや治癒力を高めるものとは到底思えないと、彼女は確信していたからでした。

 

 搬送車の中で絶命するかもしれないと忠告されながらも、自分の家に戻った男性は、その時からピタリと痙攣、嘔吐、大量発汗などの発作が収まり、まるで魔法のように、穏やかに容体を安定させていきました。

 栄養の点滴だけは一本つなげていましたが、それも男性の体が枯れていくに従って量は減らされ、余分な負荷をかけないようにされました。そして最後にはそれも外されたのです。

 部屋には香油が焚かれ、アロマオイルのマッサージが施されました。

 友人たちが訪れて歌を歌い、静かな、穏やかな時間が流れました。男性の体はゆっくりと、自分の生命のペースを整え、自分のペースで、命を閉じていきました。

 

 

 死はそれ自体、「生きる」営みそのものに含まれており、死と生は別物ではなく一つの流れの中にあるものなのだと、この男性は私たちに教えてくれたのでした。

 

 感情を超えた慈悲。存在そのものに対する愛。

葛藤の末に、「ポケットのないただのドラえもん」を、大好きだよ、とのび太が抱きしめましたシーンを忘れることができません。

 

 

 「愛は、あなたの中にちゃんとあるよ。目の前の命に向き合う行為そのものが、それが、愛なんだよ。無くなっているように感じるのは、感情が閉ざされてしまっただけなんだよ。愛は、あったりなくなったりするものじゃないんだよ。自分の中の愛を、感じてね。命に向き合うあなたの行為そのものが、あなたの存在そのものが、それが、愛なんだよ

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

私はこの男性の死とともに、この家族の営みを、懐かしく、愛おしく思い出します。それは、存在論的人間観を、自分の内なるものとして捉えることのできたエピソードであり、何よりそのエピソードが、この私自身のものであるからです。

 

 

 

 

【朗読交流会そしてセルフセッションとワークはこんな方におすすめです】


・「死」の恐れや不安から解放されたい
・自分の生き方を見つめ直したい
・家族や身近な人の看取りに、どう寄り添えばいいか知りたい
・命がどう閉じていくのか、実際のプロセスを知りたい
・命を閉じる準備をしている人の心の変化を知りたい
・自分の病気と向き合いたい
・自分がどんな人生を歩んでいくのか知りたい
・自分の人生に対して肯定感を持ちたい

・自分の中にある愛を信じたい

【朗読ではこんなことが得られます】

・人生を見直し、内面世界への問いかけが促されます
・命を閉じていくプロセス、心と身体がどう変化していくのかを知ることで、忌憚ない安心感を得られます
・伝え手、平野麻子の、潜在意識に深く響く声により、死への恐れ、不安が緩んでいきます

【体験ワークではこんなことが得られます】

・「看取る側」「看取られる側」の心と体がどう変化していくのか、何をどう感じているのかを体験することで、未知の出来事からの恐れを手放します
・旅立ちを前にした未来の自分から現在の自分を知ることで、現在の自分に対しての自己肯定感を得ます

【交流によってこんなことも得られます】

・人にはわかってもらえない、と思い込んでいた悩みが、自然なことだったのだと、安心して話すことができ
 ます
・なかなか人に話す気になれなかったことが、普通の会話として共有することができます
・言葉にして人に話すことで、楽になります
 

 

次回 

2017年1月11日(水)この日だけ水曜日。

2017年1月26日(木)

(基本的に第2、第4木曜日)

場所:あさまるサロン(東京都町田市鶴川)

時間:10:00〜15:00(発酵酵素玄米の軽ランチつき)

会費:5000円(税込)

定員:6名(駐車場2台あり 予約をお早めにお願いします)

※ 講座内容の詳細は、メニュー「朗読」よりご覧ください

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