もう11月も中旬となり、私も雑誌の新年号の連載を入稿したところです。
1年間がとても早いです・・・。
平成から令和にかわったり、消費税が増税したり、激動の1年でしたが、あと少し、元気にやっていきたいですね。
ということで今回は、懐かしの劇場・日劇(日本劇場)に多数出演した、スターたちを紹介したいと思います。
日劇といっても50年近い歴史がありますので、今回は日劇が最も華やかだった昭和20年代にスポットライトを当てていきたいと思います。
戦後の日劇といえば、敗戦からの復興の象徴のような印象を受けますね。
空襲で焼け残った劇場だったため、名だたるスターが相次いで、いち早く出演できたのが日劇の舞台でもありました。
日劇、カストリ酒、仙花紙、ブギウギ、パンパン・・・これらのキーワードを並べただけでも、荒廃した戦後の東京の街が浮かんできます。
やはり戦後の日劇に出演したスターといえば、まず笠置シズ子さんを思い浮かべることができます。
それまでの日本女性の在り方を打ち破り、アプレらしく大きなジェスチャーで歌う姿は、戦争で荒んだ人々の心に衝撃を与えました。
「東京ブギウギ」「セコハン娘」「ヘイヘイ・ブギー」「買物ブギ」などなど、今でも笠置さんの歌声に魅了される方はたくさんいらっしゃいます。
これは1948年公演「ジャングルの女王」のパンフレットです。笠置シズ子を象徴するような、野性的なイラストが印象的ですね。
そして、この「ジャングルの女王」で笠置さんとダブル主演で、日劇の出演者として常連だったのが灰田勝彦さんでした。
戦中からの大スターだったハイカツさん、戦後も「東京の屋根の下」「アルプスの牧場」「野球小僧」等のヒットを飛ばし、存在感を示しました。
1949年、無名だった美空ひばりさんが日劇に出演した際の主役もハイカツさんで、生涯ひばりさんを応援されました。
こちらは、灰田勝彦・有紀彦兄弟が率いたニュー・モアナの写真です。戦後らしい解放感に溢れた写真、サインには「23、5、7」の日付があります。
そして、日劇を語るうえで欠かせないのが、司会から自らがボードビリアンとして舞台に立つようになったトニー谷さんでしょう。
そろばん片手に、「トニーイングリッシュ」といわれたインチキ英語を駆使した軽快な舞台は、占領下、独立直後の日本を象徴するような存在といえます。
サインには、彼のキャッチコピーだった(?)「サイザンス」と書かれているのが微笑ましいです。
変人奇人、コメディアン仲間からも嫌われていたことは有名ですが、実際に御本人が「自分は他人と相いれない性格だから」と語っていたこと、さる漫談家の師匠から伺ったことがあります。
次に日劇を語るうえで欠かせないのは、日劇のマスコット的存在、空飛小助さん。
小助さんのサイン入りポートレートは、なかなか珍しいのではないでしょうか。
そして1950年代に入ると、時代は移り変わり、戦後生え抜きのジャズシンガーたちが続々と登場。
日劇では華やかなジャズ大会が開催されるようになり、多くのスターを輩出することになります。
そこで登場するのが、我等が柳沢真一(柳澤慎一)さんです。
1952年、学生ジャズシンガーとして日劇初出演、それから日劇の多くの舞台を踏んで、日劇出演最多スターとも伝えられています。
今も甘い歌声は健在、スターらしい雰囲気につつまれています。
これは今年(2019年)10月、私が撮影した柳沢真一さん(右)と、漫才師の新山ノリロー師です。
新山ノリロー師も日劇「夏のおどり」出演者、30年振りの再会、昭和のスターがお二人揃った珍ショットになります。
そんな日劇も1981年に閉館、奇しくも東洋一の大劇場といわれた浅草国際劇場も翌1982年に閉館。
昭和末期には、すでに良き昭和は少しづつ遠のいていたんですね。
私も有楽町~銀座まで散歩するときは、日劇を飾ったスターのことや、ラクチョウのお時のことを考えたりしています。
今回は日劇について書きました、いずれ浅草国際劇場についても書いていきたいと思います。