今回は1963年12月にコロムビアレコードからデビューされた円山鈴子さんのレコードについてご紹介したいと思います。

円山鈴子さんは新潟の出身、精華学園卒業後(吉永小百合さん、白鳥みづえさんと同期)、古賀政男門下となられます。
そして1963年12月に日本調歌手として『ぽっくりシャンシャン/私は愉快は半玉さん』円山鈴子(コロムビアレコードSAS171)でデビューしました。
こちらがデビュー盤のジャケットになります。

{DE99F00E-D258-4B67-B0B9-8B6BEC3FA71C}

京都で言う舞妓、東京で言う半玉さんのイメージで売り出され、ご実家が渋谷円山町にあった高級割烹の「天鈴」だったので、芸名は円山鈴子と名付けられました。
梶光夫さん、大下八郎さん、星川昭二さん、九条万里子さん(水木一郎夫人)らと、「コロムビア輝く五つの星座」として売り出され、中でも円山さんは端正な顔立ちだったことから、美人歌手としてコロムビアからは特に大切にされた存在でした。
1964年にアランドロン氏が来日した時には、クラウンの五月みどりさん、キングの仲宗根美樹さん、そしてコロムビアから円山鈴子さんが付き添われ、ロッテの工場も訪問されています。
それから、古賀政男先生、西條八十先生、石本美由起先生など錚々たる大御所による楽曲を歌ったことでも、どれだけコロムビア一押しの歌手だったかがわかるかと思います。

また以前のブログでもご紹介しました、1964年3月に発売された東京オリンピックの応援歌『ニッポン音頭』島倉千代子、北原謙二、花村菊江、円山鈴子、大下八郎(コロムビアレコードSAS200)にも選出されて、前東京オリンピックを文化の面で盛り上げた1人となったのでした。

{4DEE6AA8-3D52-48E7-ADD2-52B2CCD6F880}

また、戦前風に言うと「ネェ小唄」とも言える、1964年2月発売『みんなあなたのせいなのよ/とかなんとか言ったって』円山鈴子(コロムビアレコードSAS194)や、1964年4月発売『こんなしあわせあるかしら』円山鈴子(コロムビアレコードSAS226)などの楽曲も録音しており、健全なお色気といいますか、いかにも昭和の流行歌という雰囲気を楽しむことができます。

{0392C423-6439-4EDB-A6DA-0A848C36E812}

{2F115EB9-8B36-4C05-9776-FA836B6281FD}

そして、こちらが古賀メロディの力作ともいえる1964年6月発売『お七恋唄/恋のお百度』円山鈴子(コロムビアレコードSAS255)になります。

{51B21CE4-9361-41F9-A13F-540D271AEE24}

当時のコロムビアは美空ひばりさんを別格の筆頭に、島倉千代子さん、村田英雄さん、こまどり姉妹さん、北原謙二さん、青山和子さん、畠山みどりさん、舟木一夫さんなど、華やかな顔ぶれが揃う、空前の歌謡曲大全盛時代。
今や大御所の小林幸子さんもまだ子供、都はるみさんもデビューしたばかり、五木ひろしさんも松山まさるの名を名乗った売れない時代です。
東洋一の大劇場といわれた浅草国際劇場、陸の竜宮といわれた日本劇場、関西では大阪劇場、名古屋では名鉄ホールなど、日本を代表する大劇場でコロムビアの歌謡ショーが開催され、NHK以外の民放各局ではコロムビア提供の歌謡番組が放送され、円山鈴子さんは「ロッテ歌のアルバム」にも出演されたそうです。

また、地方の温泉場が最高に盛り上がっている時代、日本各地でPRソングが録音されていますが、こちらは『奥道後小唄』円山鈴子(コロムビアレコードPES7006)です。

{24DCC1CC-CD81-4C96-BF6E-BE32D3D044E2}

ご本人によれば1964年か65年の発売とのことで、奥道後だけではなく、塩原など他にも数曲のPRソングを歌ったとのこと。
現地ではループして楽曲が流され、これもまた良き昭和の風景のひとつと言えるでしょう。
こちらは、PR盤ではありませんが、1965年1月発売、神奈川県の民謡『ちゃっきらこ踊』円山鈴子(コロムビアレコードSA1164)のジャケットになります。

{59E52992-CAE3-401B-8ED8-F3422E573571}

この盤の不思議なところは、1965年といえば既にステレオ録音に切り替わっているはずなのに、モノラル盤として発売されていることです。
恐らくステレオで録音されてモノラル盤として発売されたものだと思いますが、私が確認できている円山鈴子さん唯一のモノラル盤となっています。

このように活動した円山鈴子さんですが、1966年頃、美空ひばりさんと喜美枝ママに気に入られ「養女にしたい」ということで歌手を廃業してしまいます。
コロムビアも古賀政男さんも突然のことに驚いたものの、相手が美空ひばりさんとあっては何も言えず、、(笑)
そして1968年には、ひばりさんの実弟である小野透さん(かとう哲也さん)と結婚することになります。
なお、その後離婚を経て、円山理英子の名で芸能活動を再開し、「四谷怪談」「大奥」などのテレビドラマのほか、映画にも出演。
またレコード歌手として、こちら『ないしょないしょ』円山理英子 松平直樹とブルーロマン(東芝レコードTP2758)も発売されています。

{3841A1F9-C62B-4A62-8ED4-2FFE0837EF50}

こちらは、かつての日本調とはまた違った趣の歌謡曲で、大人の恋愛を粋に歌った忘れがたい名曲といえます。
なぜ、そこまでヒットしなかったのか不思議に思っていたのですが、円山さんの女優としてのお仕事が立て込んだそうで、一切キャンペーンに参加できなかったのだそうです。
ヒットの要素を多分に含んだ本曲がヒットしていれば、また違った芸能人生があったかもわかりませんね。

文末にはなりますが、一時、円山鈴子死亡説が飛び交い、今もネットでは円山鈴子さんは亡くなっていることになっている情報もあります。
しかし、これは誤報、私が訂正させていただきます。
芸能界は引退されていますが、今でも美しくバリバリお元気でいらっしゃること、皆さんにお知らせしたいと思います。