今回は足立鶴子(二代目 松旭斎天華)のレコードについて解説していきたいと思います。

 

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そもそも初代の松旭斎天華は、女流奇術師として一時代を築いた松旭斎天勝に寵愛された弟子で小天勝を名乗っていましたが、袂を分かつことになります。

そして1916年(大正5)、松旭斎天華を名乗ることになりました。

大柄な美貌で、奇術のみならず、流行のオペラなどを取り入れたことで、一時期は大変な人気を集めた奇術師でした。

日本のみならず海外にまで足をのばして公演を行いましたが、帰国直後に患い、1920年(大正9)に23歳の若さで亡くなったということです。

そこで、二代目・松旭斎天華を名乗ることになったのが、初代の舞台で花形として活躍した足立鶴子でした。

その二代目 天華が、初代天華一座時代に足立鶴子名義で吹き込んだ唯一のレコードが、1919年(大正8)頃発売の『ソリャ悪ルカロ』足立鶴子 三浦敏男(オリエントレコード1583-Aでした。


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レーベルには「現代諷刺」という記載がありますが、特に社会性がある歌ではありません。

〽わたしゃ今夜も明日も明後日も毎晩逢いたいわ そりゃ悪かろ

非常に調子がよく、早口で歌うのがとても面白い掛け合いコミックソングといえます。

当時の唄本にも頻繁に掲載されている人気曲でした。

 

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この盤の特筆すべき点は、本曲に入る冒頭部分で『コロッケの唄』が歌われているところです。『コロッケの唄』といえば大正時代を象徴するようなヒットソングですが、現存どころか、レコード自体が殆ど発売されていません。

そのため、大正時代に録音された、数少ない『コロッケの唄』ということができます。

なお、このレコードが発売された翌年には松旭斎天華一行名義で『シッパホイ/細君来い』(オリエントレコード1647)が発売されています。

 

【番外編】

この『ソリャ悪ルカロ』の片面に収録されている『わたしは歌が好き』小島洋々(オリエントレコード1583-B)も、番外編としてご紹介したいと思います。


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天勝一座に歌劇部があったように、天華一座でもオペラの上演に力を入れており、多くの浅草オペラの俳優たちが、入れ替わり立ち代わり、天華一座に関係しました。

その中でも帝国劇場歌劇部出身という肩書を持ちながらも、正規のオペラの舞台に立つことなく、奇術の合間で上演されるヴァラエティに出演し続けていたのが小島洋々でした。

この『わたしは歌が好き』もコミックソングで、このレコードの他にも東京レコードにおいて日本橋丸子も吹き込んだ経緯もあります。

 

話はそれてしまいますが、小島洋々の名前が記載されたレコードがもう一枚あります。

それが戦後の児童劇『おむすびころりん(上)/(下)』(ビクターレコードV-40415です。小島洋々は大正後期には映画界に転身、個性派俳優として活動をしていました。