今回は、浅草オペラから世界に羽ばたいた数少ないオペラ歌手のひとり、原信子さんの東京レコード2種をご紹介したいと思います。
1918年「カバレリアルスチカーナ」での原信子
原信子さんは1893年(明治26)青森県の出身。当初は東京音楽学校ヴァイオリン科に入学したものの、声楽科に編入。鶴のように細身で美しかったことから、たちまち東京音楽学校のマドンナとなりました。
しかし、学校外での音楽活動が問題視されたため、中途退学となっています。
その後、上海において初の海外公演を経て、帝国劇場歌劇部の客員出演者として招かれた際に、教師であるジョバンニ・ヴィットリオ・ローシーと出会います。
帝劇歌劇部解散後はローシーが旗揚げしたローシー・オペラ・コミックのプリマドンナとして華々しく活躍しました。
ところが関係性が悪化したことで、ローシー・オペラ・コミックを退座。
そして1918年(大正7)、浅草へと進出し、観音劇場で原信子歌劇団を旗揚げすることになります。
原信子さんの大正期のレコードは、東京レコードだけでなく、ニッポノホン、スピンクスなどから発売されています。
まずは1918年(大正7)3月発売の『アルカンタラの一節 御寺の壁には/アルカンタラの一節 嗚呼悲しや望みは消えぬ』原信子 ピアノ澤田柳吉(東京レコード1374/1375)からご紹介します。
「アルカンタラの医師」は浅草でも好んで上演されたオペラのひとつで、このレコードが発売される5月ほど前にローシー・オペラ・コミックで日本初演の公演が行われたばかりでした。
「アルカンタラの医師」は「カルロスのセレナーデ」「恋のために身は捕らわれ」など、ロマンチックなアリアが印象的ですが、その中でも特に美しいアリアが『御寺(みてら)の壁には』です。
私も大好きなアリアなので、2017年10月に私が監修・選曲させていただきました日本橋公会堂での浅草オペラコンサートの際にも選曲をしたという経緯もあります。
続いては、前記のレコードと連番で発売された『歌劇ボッカチオの一節 恋は優しい野辺の花よ/歌劇リゴレットの一節 主義の歌』原信子 ピアノ澤田柳吉(東京レコード1376/1377)です。
浅草オペラの代表的なアリアといえば、やはり『恋はやさし野辺の花よ』でしょう。本来は男性が演じる『ボッカチオ』ですが、原信子さんは男装をして舞台に立ち好評を得ました。
その片面の『主義の歌』、聞いたことがない題名のアリアだと思われた方もいらっしゃるかと思いますが、有名な「女心の唄」(La Donnna e Mobile)です。
〽風の中の羽根のように 何時も変わる女ごころ
堀内敬三の訳詞が有名ですが、原信子盤は歌詞が全く異なっています。
これら2枚4面のレコードでピアノ伴奏を行っている澤田柳吉について、原信子さんの別の会社で発売されたレコードに関しては、また別の機会に…