今回は浅草オペラの人気演目だった『おてくさん』のレコードについて解説していきたいと思います。
『おてくさん』(益田太郎冠者)は浅草オペラの代表的創作オペラ「カフェーの夜」(佐々紅華 作)に登場する、不美人のキャラクターの名前です(笑)
劇中でキザな紳士・木座野と掛け合いを行うのですが、この場面がレコード化され、おおいに大衆に受け入れられました。
『おてくさん』には2種類のレコードが存在しています。
まず1917年(大正6)最初に発売されたのが、『おてくさん(上)/(下)』某声楽大家 日本橋丸子(東京レコード752/753)です。
「某声楽大家」との覆面での記載がされており、とても気になるところではありますが、この声楽大家の正体は作者の益田太郎冠者と言われています。
益田太郎冠者に関して今回は詳述しませんが、実業家・益田孝(鈍翁)の子息で、喜劇作者としても多くの傑作を残した人物です。
かたや日本橋丸子は、益田太郎冠者が寵愛した芸妓で、「コロッケの唄」の創唱者。後年は浅井丸留子として活動されました。
いわば素人と芸妓の二人が録音した、他に類をみない喜歌劇のレコードです。
そして1923年(大正12)に発売された2枚目のレコードが『おてくさん(上)/(下)』河合澄子 櫛木亀次郎(ヒコーキレコード5987/5988)です。
河合澄子のおてくさん、杉寛の木佐野
浅草オペラでおてくさんを演じるのは、主演女優の特権だったため、歌劇女優にとってはステータスだっただろうと推測ができます。
このレコードの最大のポイントは、浅草オペラでも特異な女優として光を放った河合澄子が残した唯一のレコードであるところです。
河合澄子に関しては「歌も踊りも下手で、媚びを売ることに終始した」というような記載が多くの文献でみられますが、このレコードを聞く限り、歌も演技も下手ではありません。
表情豊かでチャーミングな人柄が浮かび上がってくる名盤ではないでしょうか。
共演する櫛木亀次郎は帝国劇場歌劇部の出身で、その後、王道の浅草オペラの道には進まず、奇術の松旭斎天華一座に参加。天華とは夫婦となり、大正時代のヒットソング「赤い唇」は彼の作となっています。
浅草オペラでの舞台における初代おてくさんは天野喜久代でしたが、その後、河合澄子、木村時子、明石須磨子などなど、一流歌劇団から泡沫歌劇団まで、多くの女優がおてくさんを演じました。
また、これは付け足しにはなりますが、1941年(昭和16)に公開された日活映画「世紀は笑ふ」の劇中、杉狂児と轟夕起子の二人が「おてくさん」を演じる場面があります。
映画を観る機会があたら、チェックしてみてはいかがでしょうか。