今回は天野喜久代の浅草オペラ時代のレコードについて解説していきたいと思います。
天野喜久代といえば、二村定一と並ぶ日本初のジャズシンガーのひとり。現在ではジャズシンガーとしての活躍に多くの注目が集まっていますが、帝劇オペラ~浅草オペラで活躍した経歴を持つ古い歌手です。
天野は1897年(明治29)千葉県佐倉市の出身。
1913年(大正2)帝国劇場歌劇部2期生として入学し、1915年(大正4)「天国と地獄」では猟の女神役に抜擢されたことで、以後、スター街道を歩むことになりました。
その後、ローシー歌劇団を経て、高木徳子一座、常盤樂劇団、東京歌劇座、七声歌劇団、根岸歌劇団と、浅草オペラの一流歌劇団を渡り歩きます。
浅草オペラ界では、帝劇出身者を非常に重宝し、歌劇団の威厳を誇示するための材料のひとつとなっていたため、天野喜久代はこれらの歌劇団では幹部扱いを受けています。
また浅草オペラの女優達は常にゴシップ記事の対象にされて、よからぬ噂が雑誌のコラム欄に掲載されることがしばしばでしたが、天野喜久代には浮いた噂が少なかったのも、浅草オペラでの彼女の立ち位置を知る上で、ひとつのポイントとなります。
それでは、まずは『古城の鐘(上)/(下)』七声歌劇団・天野喜久代(ニッポノホンレコード3685/3686)からご紹介します。
七声歌劇団は1919年2月、清水金太郎、田谷力三などを中心に旗揚げされた浅草オペラの代表的歌劇団で、金龍館を根城に活動をしていました。
このレーベルにもアリアの表記はありませんが、(上)(下)とも「雇人市場の合唱」です。1920年(大正9)1月発売なので、前年に録音されたものでしょう。
そして、この『古城の鐘』と連番で発売されているのが、『ラ。マスコット(上)/(下)』七声歌劇団(ニッポノホンレコード3687/3688)です。
喜歌劇「マスコット」(当時は「ラ・マスコッテ」とも)は浅草オペラの十八番演目でしたが、確認できている「マスコット」に関する浅草オペラのレコードはこの1枚のみです。セリフは挿入されておらず、1幕のアリアをメドレー形式で収録しています。
レーベルに表記はありませんが、天野と木村時子による録音です。
づづいては『沈鐘 ラウテンデラインの唄』(スヒンクスレコード4571)をご紹介します。
ハウプトマン原作の物語「沈鐘」を、伊庭孝と竹内平吉が歌舞劇化。1918年(大正7)9月に高木徳子率いる歌舞劇協会で上演が行われました。高木徳子が森の精・ラウテンデラインを好演したので、徳子が舞台で唄うために当て書きされたと推測ができます。
当時の歌劇レコードはピアノのみの伴奏がほとんどで、本盤のようにピアノとヴァイオリン、そして歌唱という録音形式は珍しいといえます。
渡辺吉之助は帝国劇場管弦楽団出身のヴァイオリニストで、後に東京歌劇座のオーケストラに在籍していました。
今回は純粋な浅草オペラ盤のみを取り上げましたが、天野喜久代は「茶目子の一日」に代表するお伽歌劇のレコードもかなりの数を吹き込んでいます。
「茶目子の一日」については、また別に機会を設けて記していきたいと思っています。