父は当時、多くの活躍馬を出して人気の高かったトウショウボーイ。
母はダービー馬サクラチヨノオーや重賞勝馬サクラトウコウを生んだサクラセダン。
サクラホクトオー自身もデビューから3連勝で朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS)に勝ったのだからファンの期待は高まるばかりだった。

しかし3歳緒戦の弥生賞では田んぼのような不良馬場を雨が降りしきる中で走り、小島太騎手がいくら手綱を扱いても走る気を見せずに12着とホクトオーは大敗してしまう。
皐月賞では前走の敗因はハッキリしているという事でファンは1番人気に推したが、皐月賞は晴れだったが前日からの悪天候で馬場は不良。
案の定、走り難い不良馬場にやる気を無くして20頭中19着。1頭(アンカー)が落馬で中止しているので、実質は殿負けだった。

待望の良馬場となったダービーでも皐月賞2着のウィナーズサークルが初の芦毛のダービー馬として祝福される中、ホクトオーは良馬場でスムーズに先行するも精彩を欠き24頭立ての9着だった。
聞くところによると春のシーズン中、お腹に虫がいて体調が万全ではなかったらしい。
体調が万全ではない中で不良馬場に嫌気が差し、春のクラシックはリズムを崩して期待外れに終わった。

秋緒戦は菊花賞TRのひとつセントライト記念に出走したが、春の不振の影響でダービー2着のリアルバースディー、上がり馬のスダビートに次ぐ3番人気だった。
しかしレースでは先行して失速するリアルバースディーや直線で先頭に立って力強くゴールを目指すスダビートを差し切って見事に復活した。

菊花賞では血統的に距離不向きとファンは判断して7番人気まで評価を落とした。
レースではスローペースでホクトオーは中団やや後方で脚を貯めて、直線入り口で追い込もうとスパートした所で芝の切れ目に驚いて外埒ギリギリまで大外に逸走してしまう。
勝利間近のバンブービギンを映し出す画面に外側を影のように通り過ぎる物体がチラッと写った。
それがホクトオーだった。真っ直ぐ走っていれば勝ち負けになっていたと思うがあとの祭りである。

有馬記念はオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの平成三強の馬達が注目される中、菊花賞の外埒から追い込んだ脚が評価されてホクトオーはイナリワンを抜いて3番人気に支持された。
レースでも勝利の体勢に入ったスーパークリークをイナリワンがゴール前で差し切る中、疲れで精彩を欠くオグリキャップに先着する3着と健闘した。

秋シーズンもタイトルは取れなかったが、春とは別の馬のような期待充分の走りを見せてくれた。
4歳となってAJCCを1番人気で貫録勝ちして、今後の飛躍が期待されたが、以降は何故かさっぱりだった。
大阪杯、天皇賞・春と惨敗し、脚部不安により1年の長期休養。休養明けの京王杯SC、安田記念も惨敗して、そのまま引退してしまった。

強い時と弱い時が極端な馬だったと思うが、土砂降りの弥生賞を使ったことがその後の不振の原因だという人も多い。
後から考えると、春は凡走が多く、秋は強さを見せる。単純にそういうタイプの馬だったようにも思う。
4歳・5歳の秋に脚部不安等でレースに出ていないのが惜しまれる。

引退後は静内の新和牧場で種牡馬として繋養されるが、15歳の若さで腸捻転により他界してしまった。
代表産駒はサクラスピードオー(共同通信杯、京成杯)ぐらいだった。

ホクトオーについては思い入れが沢山あり、気持ちのままに書くと長くクドイ文章になりそうなので、あえて意識して淡々と書いて見ました。