神戸新聞杯はサートゥルナーリアが後続を3馬身離して勝つ強い競馬をした。
スローペースで「よ~い・どん」の競馬をしたらサートゥルナーリアの切れ味には敵わない。

ヴェロックスは道中口を割っていたからもう少し前で競馬すればよかったと思うが、

本番を意識して川田騎手は敢て抑えたのかもしれない。
トライアルとしてはこれで充分だと思う。

サートゥルナーリアは菊花賞に行かないらしい。
サートゥルナーリアには菊花賞より天皇賞(秋)の方が合っているかもしれない。

3着に入ったワールドプレミアはさらに距離が伸びる本番が楽しみだ。
 

 

南関東の古豪といわれたテツノカチドキは5歳、6歳、7歳と3回ジャパンC出走に挑んだがいずれも叶わなかった。

テツノカチドキの3歳春は低迷して羽田盃も東京ダービーも出走できなかった。秋にようやく東京王冠賞(当時10月)で6着。
その後、着実に勝って4歳になると大井記念、帝王賞、東京記念と南関東の大レースに出走するが、上位入線するものの勝ちきれなかった。
しかし年末の東京大賞典で優勝し、初重賞制覇と共に南関東トップホースの仲間入りした、

5歳になると大記念に勝ってJRAの地方競馬招待にも勝って芝適正も示した。
しかし、当時ジャパンC出走権がかかっていた東京記念では4角先頭の積極的な競馬をするが、直線でずっとロッキータイガー(ジャパンC2着)と競り合ってアタマ差負けてジャパンC出走はならなかった。このレースでテチノカチドキが負担重量61.5kgだったのに対してロッキータイガーが59.0kgだった。選考レースならば同一斤量にするべきだと思うが・・。
この年のジャパンCはロッキータイガーがシンボリルドルフの2着と好走した。

5歳時のテツノカチドキは東京大賞典3着、川崎記念2着、東京記念2着、帝王賞4着と、大レースを惜敗することが多かった。

6歳時は大井記念を連覇するが少し低迷していた。
再びジャパンC選考レースのオールカマー(1986~1994年まで地方馬代表決定戦)に出走するが、東海公営のジュサブローに敗れて3着で、またもジャパンC出走ならず。このレースはジュサブローの見事な勝ち方が目立った。

7歳になると戦績は安定しなかったが、帝王賞でカウンテスアップやフェートノーザンというトップホースを相手に勝利して、再びジャパンC選考レースオールカマーに出走したが、JRAのダイナフェアリーが勝ち、2着に帝王賞で負かしたガルダンが入って、最後のジャパンC挑戦も叶わなかった。

年末の東京大賞典での引退が決まり、最後のレースで鉄人・佐々木竹見騎手は大胆に逃げの戦法を取って、2着に4馬身差をつけて有終の美を飾った。

引退後は種牡馬となったが産駒が振るわず、2001年に用途変更となり、所在は不明になっている。

テツノカチドキは脚元が丈夫で引退レースの後も入厩した時と同じで、脚元に何の不安もなかったという。
無事之名馬で休みなく走り続けて、地方競馬で初の3億円ホースとなった。

ジャパンCという大舞台で活躍することは出来なかったが、南関東のファンには愛された馬だった。

南関東出身でJRAの大レースを勝ったハイセイコーやイナリワン、平成以降のファンにお馴染みのアブクマポーロよりも、南関東の馬と言って最初に思い浮かぶのはテツノカチドキだ。

 

 

22日の日曜日に京都競馬場11Rの神戸新聞杯に5枠5番でヴェロックスが出走する。
ヴェロックスはジャスタウェイの仔で好きだったハーツクライの孫という事で気にしていた。

最初にレースを見たのは2歳秋の東スポ2歳Sで、他馬とぶつかってヨレて後退しながら追い込んで勝ち馬とタイム差無しの4着に来たのをみて強いと思った。

3歳春の若駒S、若葉Sでさらに成長していた。皐月賞ではサートゥルナーリアに標的にされて一旦差されながら盛り返してアタマ差まで差を詰めた。
ダービーではコーナーで手間取って先頭から離されてしまったが、しぶとく追い込んで3着まで押し上げた。

いつも見応えのあるレースをしてくれるヴェロックスはつい応援したくなってしまう。

今回は春に戦ったサートゥルナーリアやレッドジェニアル、距離が伸びて怖いワールドプレミア等がいるが、ヴェロックスがある程度仕上がっていれば崩れないと思う。

でも2着3着は飽きてきた。
そろそろ勝って欲しいのだが、本番を考えると馬に無理をさせないで欲しい。
一応、単勝は買うつもりだが・・。

 

---------------------------------------------------------------

ダイタクヘリオスはよしだみほ氏の漫画でだいぶキャラ付けされてしまった印象だ。
確かにパドックや返し馬で口を開けたり舌を出したりしていたので「笑う馬」と言われていた。
でもレースでは比較的真面目に走っていたように思う。

戦績が安定しないのは脚質的に人気になってマークされると大敗する事もあったが、自分の競馬を出来た時は強かった。
当時私はトウショウボーイ×ハギノトックレディという私にとって夢の配合のダイイチルビーを応援していたが、1991年のマイルCSではダイタクヘリオスの強さに脱帽した覚えがある。
そしてダイタクがスプリンターズSではなく有馬記念を選んでくれてホッとした。

当時はよしだみほ氏の影響でダイタクヘリオスとダイイチルビーが恋仲という噂が広まっていたが、1991年に両馬は5度対戦してダイタクの2勝3敗だったが、マイルCSの印象で勝った気がしなかった。
翌年のマイルCSでも名牝シンコウラブリーを寄せ付けなかった。
直線入り口で抜け出してそのまま後続を突き放す競馬をされると、ダイイチルビーもシンコウラブリーも敵わなかった。

天皇賞・秋や有馬記念、宝塚記念は同系のメジロパーマーがいて苦しかった感じだが、勝った毎日王冠(1800m)や高松宮杯(当時2000m)でも最後にバテてやっと勝ったのを見ると距離の壁があったのかもしれない。
引退レースとなった1992年有馬記念でもメジロパーマーと競り合ってダイタクが惨敗して、パーマーが勝ったのをみると距離適正の差だと思う。

世間の「笑う馬」というイメージと違って、私にとってはマイル以下では相当強い名馬だった。

ダイタクヘリオスは引退後、日高軽種馬農業協同組合門別種牡馬場で種牡馬となった。
産駒のダイタクヤマトがスプリンターズSに出走し、16頭立ての16番人気で優勝してしまった。
ダイタクヘリオスがダイイチルビーやニシノフラワーがいたために取れなかったJRA賞最優秀短距離馬を息子のダイタクヤマトが取った。
ダイタクヤマトはG1もJRA賞も取っているのに、何故か功労馬繋養展示事業の対象馬とならずに、千葉県の佐倉ライディングクラブで乗馬として余生を過ごしていたが、2014年以降は消息不明である。

ダイタクヘリオスはダイタクヤマト以外に目立った産駒が出ずに、2002年に種牡馬を引退して、青森県八戸市の山内牧場に移った。
そして2008年同年12月12日に牧場スタッフが放牧のために馬房に行くとヘリオスはすでに冷たくなっており、馬房には暴れたり苦しんだ痕跡もなく眠るように事切れていたそうである。
21歳と少し早めの旅立ちだった。

 

 

今から26年前の1993年2月16日に「武豊のライバルになれる騎手」と言われ、将来を嘱望されていた若手の有望騎手が亡くなった。
17日前の1月30日に新馬戦で1番人気の将来を期待されていた馬の背中に乗って落馬事故に遭い重体となり、17日間の闘病の後に力尽きた。

古いファンならご存知の通り、岡潤一郎騎手の事である。
岡騎手は当時、デビュー以来5年間安定して年間40勝以上を上げて、デビュー3年目にユートジョージ(NHK杯)で初重賞。そして同年には当時大人気だったオグリキャップにも宝塚記念(2着)で騎乗している。
4年目にリンデンリリーでエリザベス女王杯を勝ちG1初制覇。この年は他にもローズS(リンデンリリー)、ペガサスS(ノーザンドライバー)の重賞を勝っている。5年目は重賞勝ちこそなかったが46勝を上げ、5年間安定して勝率1割、連対率2割、複勝率3割を粗キープしていた。

岡騎手を乗せて骨折して予後不良となったオギジーニアスも期待されていた馬だった。
オギジーニアスに騎乗予定だった藤田騎手は自厩舎の事情で東京で騎乗する事になり、「(オギジーニアスに乗れなくなり)1勝損した。」と思ったそうだ。

単勝2.7倍で1番人気に支持されたオギジーニアスは好スタートから先頭に立ち、余力充分で4角を回り、直線に入るとすぐに左後脚を骨折し転倒した。勢いよく転倒した弾みで岡騎手は馬場中央に投げ出され、後続の馬の蹄が頭部に当たってしまった。
一部で後続の馬に踏まれたという噂もあったが、馬は人を踏まないといわれている。
再生動画を見ても踏んでいるようには見えない。強くぶつかった感じだった。

岡騎手は外傷性クモ膜下出血、脳挫傷、脳内出血等により意識不明の重体に陥り、その後肺炎も併発して1993年2月16日に17日間の闘病の後に力尽きた。

オギジーニアスはレース当日の1993年1月30日。レース後に予後不良と診断され、岡騎手より一足早く旅立っていた。
4ヶ月前の1992年9月24日には当時仕事の関係で付き合いのあった稲葉隆一厩舎所属の玉ノ井健志騎手が障害レースで落馬して弱冠二十歳で命を失った。

未来ある若手騎手と希望に満ちあるれた新馬の死は、とても切なく感じる。今でも・・。

 

シンカイウンは父や祖父(タイテエム)と同じ四泊流星の綺麗な馬体でいつも一生懸命走る馬という印象だった。

3歳1月にデビューし、勝ち上がるまで2ヶ月で5戦という若駒にとってけっこう過酷なローテーションだった。
続く君子蘭賞も勝って、NHK杯(当時ダービーTR)に出走したが12着と惨敗してダービー出走権は取れなかった。
NHK杯後、骨折で2年近くの長期休養に入る。

復帰後は順調に条件戦を勝ち上がり、500万、900万と連勝し、準オープンも3戦2勝でオープンまで駆け上がった。
初重賞の小倉記念で3着と好走し、朝日CCでは3番手から直線で抜け出して3馬身突き放す強い競馬で勝った。
毎日王冠でも後方からしぶとく追い上げて勝ったバブルガムフェローから0.2秒差の4着と頑張った。
初G1の天皇賞(秋)では見せ場こそあまりなかったが3着ジェニュインと0.4秒差の11着。

そして京阪杯9着後に裂蹄で1年近くの休養に入る。
骨折休養明けでも休みなく10ヶ月で10戦と裂蹄がなければいつまで使い続けられていたのだろうと思う。

この調教師はかつてノースガスト(菊花賞)という馬を管理して菊花賞を勝つまでの無理使いが祟って、以降は長期休養しては惨敗を繰り返した印象がある。

復帰後3戦目に中日新聞杯を勝って2つ目の重賞制覇となるが、小倉大賞典後は脚部不安で再び半年の休養。

復帰後は2ヶ月で4戦というローテーションの中で二桁着順が続き、障害に転向させられる。

そして、1月の金杯後、2月末には障害未勝利に出走。
わずか1ヵ月半という短い間に不十分な障害練習で障害レースに出走という無茶な使い方をされた。
案の定、拙い飛越で骨折して予後不良となった。
このような使い方は馬も騎手も危険極まりなく、絶対にやめるべきだと思う。

2000年2月27日。シンカイウン号は不本意なカタチで9年の生涯を閉じる事になってしまった。
もしシンカイウンがもう少し馬を大切にする厩舎に入厩していたらもっと大成していたかもしれない。
 

 

9月8日に第40回全日本ジュニア総合馬術大会が行われてEV100競技で元競走馬のトリックスターが優勝した。トリックスターは現役時代はサザンギャラクシーの名でJRAの準オープンクラスで走っていた。
マイルCS(G1)を勝ったエーシンフォワードとも対戦したことがある。
ジュニアクラスとはいえ全国大会で優勝したのは見事だと思う。

2位のリアルモード(JRA2勝)、4位のり フェアリーパウダー (JRA未勝利)の専大勢も元競走馬だ。
専修大学乗馬部は多くの元競走馬を引き取って大会に出ている印象がある。
専大は元競走馬ドリームチェイサー (JRA1勝)も参加していたが残念ながら途中で棄権してしまった。

総合馬術のこのクラス(EV100)は元競走馬がたくさんいるので楽しみだ。
競馬も秋のG1シリーズが始まるが、乗馬も秋は大きな大会が多く開催される。
元競走馬たちの活躍を期待したい。

 

昨日(R1.9/15)、第71回全日本障害馬術大会の内国産障害の競技が行われた。
この大会には以前(8/22)紹介したフユミチャンも出ていた。
フユミチャンは2回障害のバーを落下させてしまい8点減の11位と少し残念な結果となってしまった。

また元競走馬のコウユーユメノホシ(JRA未勝利)はノーミスだったがジャンプオフでの僅かなタイム差で2位と惜しかった。
5位のブラックスミスもユウターフラッシュという馬名で南関東で15勝した元競走馬である。

元競走馬が全国的な競技会で上位に来るのはやはり嬉しい。
後日、他の競技も調べてみようと思う。
 

 

父は当時、多くの活躍馬を出して人気の高かったトウショウボーイ。
母はダービー馬サクラチヨノオーや重賞勝馬サクラトウコウを生んだサクラセダン。
サクラホクトオー自身もデビューから3連勝で朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS)に勝ったのだからファンの期待は高まるばかりだった。

しかし3歳緒戦の弥生賞では田んぼのような不良馬場を雨が降りしきる中で走り、小島太騎手がいくら手綱を扱いても走る気を見せずに12着とホクトオーは大敗してしまう。
皐月賞では前走の敗因はハッキリしているという事でファンは1番人気に推したが、皐月賞は晴れだったが前日からの悪天候で馬場は不良。
案の定、走り難い不良馬場にやる気を無くして20頭中19着。1頭(アンカー)が落馬で中止しているので、実質は殿負けだった。

待望の良馬場となったダービーでも皐月賞2着のウィナーズサークルが初の芦毛のダービー馬として祝福される中、ホクトオーは良馬場でスムーズに先行するも精彩を欠き24頭立ての9着だった。
聞くところによると春のシーズン中、お腹に虫がいて体調が万全ではなかったらしい。
体調が万全ではない中で不良馬場に嫌気が差し、春のクラシックはリズムを崩して期待外れに終わった。

秋緒戦は菊花賞TRのひとつセントライト記念に出走したが、春の不振の影響でダービー2着のリアルバースディー、上がり馬のスダビートに次ぐ3番人気だった。
しかしレースでは先行して失速するリアルバースディーや直線で先頭に立って力強くゴールを目指すスダビートを差し切って見事に復活した。

菊花賞では血統的に距離不向きとファンは判断して7番人気まで評価を落とした。
レースではスローペースでホクトオーは中団やや後方で脚を貯めて、直線入り口で追い込もうとスパートした所で芝の切れ目に驚いて外埒ギリギリまで大外に逸走してしまう。
勝利間近のバンブービギンを映し出す画面に外側を影のように通り過ぎる物体がチラッと写った。
それがホクトオーだった。真っ直ぐ走っていれば勝ち負けになっていたと思うがあとの祭りである。

有馬記念はオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの平成三強の馬達が注目される中、菊花賞の外埒から追い込んだ脚が評価されてホクトオーはイナリワンを抜いて3番人気に支持された。
レースでも勝利の体勢に入ったスーパークリークをイナリワンがゴール前で差し切る中、疲れで精彩を欠くオグリキャップに先着する3着と健闘した。

秋シーズンもタイトルは取れなかったが、春とは別の馬のような期待充分の走りを見せてくれた。
4歳となってAJCCを1番人気で貫録勝ちして、今後の飛躍が期待されたが、以降は何故かさっぱりだった。
大阪杯、天皇賞・春と惨敗し、脚部不安により1年の長期休養。休養明けの京王杯SC、安田記念も惨敗して、そのまま引退してしまった。

強い時と弱い時が極端な馬だったと思うが、土砂降りの弥生賞を使ったことがその後の不振の原因だという人も多い。
後から考えると、春は凡走が多く、秋は強さを見せる。単純にそういうタイプの馬だったようにも思う。
4歳・5歳の秋に脚部不安等でレースに出ていないのが惜しまれる。

引退後は静内の新和牧場で種牡馬として繋養されるが、15歳の若さで腸捻転により他界してしまった。
代表産駒はサクラスピードオー(共同通信杯、京成杯)ぐらいだった。

ホクトオーについては思い入れが沢山あり、気持ちのままに書くと長くクドイ文章になりそうなので、あえて意識して淡々と書いて見ました。

 

今日(R1.9.15)行われた阪神競馬場の11RローズSでスイープセレリタスは6着だった。

やっぱり春の実績馬が強かった。

スイープセレリタスは我慢できずに早々と先頭に立ってしまった。
先頭のまま直線に入って春の実績馬達に次々と交わされ6着まで後退してゴール。

我慢できずに先頭に立った事、道中逃げながら脚を貯めることができなかった事。
ルメール騎手でもコントロールできなかったとなると、馬がまだまだ気性面で幼いのだと思う。

それでも実績馬相手に直線半ばぐらいまで粘っていたのだからポテンシャルはあると思う。

6着に負けたことで、自己条件でじっくり成長を待つことができる。
来年の飛躍を信じて見守っていきたい。