イタリアの名生産者フェデリコ・テシオが最後に生産した名馬がリボー。
イタリアの偉大な生産者テシオが生産した馬なのに生産国が英国となっているのは、母ロマネラがテネラニと交配するため、英国に渡り滞在中にリボーが産まれたからである。種牡馬を手元に置かずに自由に種牡馬を選ぶ主義だったテシオにはこのような例が多い。

リボーは幼い頃、とても小柄だったため、テシオは素質は認めながらも小さな馬格と発育の遅れに懸念を持ち、クラシック登録をしなかった。
そして2歳の7月にリボーはデビューするが、1954年5月リボーがデビューする2ヶ月前にテシオは亡くなってしまう。

リボーはデビュー戦を見事に勝利して2歳を3戦全勝で終える。
3歳となるとクラシック登録が無いために伊ダービーには出走できずに秋の凱旋門賞を目指して見事に優勝する。
そして伊の大レース・ジョッキークラブ大賞も優勝して6戦全勝で3歳を終え、通算9連勝とする。

4歳時は6月にイタリアの大レース・ミラノ大賞典を制し、7月に英国のKG&QESを5馬身差で勝ち、10月に仏国の凱旋門賞連覇を6馬身差で勝ち、7戦全勝で終える。
通算16戦全勝で競走生活を終えた。

5歳で種牡馬になったリボーは英国のダービー伯爵のもとで供用された。
リボーは英国で3度リーディングサイアーとなり、産駒が凱旋門賞やKG&QES、セントレジャー、ベルモントS、プリークネスS・・・と数々の大レースを勝ち、トムロルフを経由してアレジッドが凱旋門賞を連覇したり、プレザントコロニー(ケンタッキーダービー)からプレザントリーパーフェクトがBCクラシックとドバイWCを優勝するなどその血は世界で活躍していた。

日本でもマロットからイシノアラシ(有馬記念)、イシノヒカリ(菊花賞、有馬記念)、ジムフレンチからバンブーアトラス(ダービー)→バンブービギン(菊花賞)が活躍していた。
そして、8月23日に紹介したタップダンシシチー(ジャパンC、宝塚記念)もプレザントコロニー経由でリボーの血をひいている。
また第6回(1986年)ジャパンCでジュピターアイランドと白熱した直線の叩き合いをしたアレミロードもリボーの血をひく。

昔、リボー系と聞くと重厚で道悪を苦にしない印象を持っていた。
ダップダンスシチー(2005年引退)、プレザントリーパーフェクト(2004年引退)以降、リボーの系統の活躍馬はあまり見当たらないのは残念である。

リボーは米国に種牡馬としてレンタル中の1972年4月28日に腸ねん転により20歳でこの世を去った。