ニシノライデンは直線で斜行して2回も失格になっているように気性の悪さで有名だ。
失格以外でも審議になり、何らかの処分となった事も4回ある。

ナリタブライアン以前にシャドーロールをファンに印象付けたのもニシノライデンだと思う。
気の悪さでクセ馬として有名になったニシノライデンだが、実際のレース振りは正攻法で時には清清しい感じさえした。

3歳春のクラシックでは人気薄で善戦する伏兵だったが、秋になると成長して神戸新聞杯2着、京都新聞杯優勝で菊花賞に挑み、シンボリルドルフの対抗馬として2番人気に支持された。
菊花賞では先行して直線で早めに抜け出す正攻法の競馬でルドルフに立ち向かって、対抗馬として立派なレース振りだったと思う。
結果は後方から追い込んでルドルフに半馬身差まで詰め寄ったゴールドウエイが注目されたが、レース内容はニシノライデンの方が見所あったと思う。

ゴールドウエイが一発を狙って後方から追い込む競馬だったのに対し、ニシノライデンは正攻法でルドルフを負かそうとした競馬だった。
ニシノライデンを警戒して早めに交わした結果、ルドルフはゴールドウエイに詰め寄られたと思う。

4歳になって天皇賞(春)でも有馬記念でも同じような競馬をしてルドルフの4着、3着となった。
ビゼンニシキやミスターシービーのようにルドルフ陣営からターゲットにされる事は無かったが、何回もルドルフに対して正攻法で立ち向かったのはこの馬だけだったように思う。

5歳になって前哨戦の大阪杯を勝ち、天皇賞(春)にミホシンザンに次ぐ2番人気で挑み、直線で内から抜け出そうとするミホジンザンをアサヒエンペラーを従えながら外から追い詰めて、勢いでは完全にニシノライデンが上回っていたが、ハナ差2着という判定となった。

しかし直線で斜行してアサヒエンペラーの進路を妨害したとして失格となってしまった。
確かにアサヒエンペラーがニシノライデンの斜行により前を遮られて勢いが鈍っていたので失格も止むを得ないと思うが、惜しいレースだった。
このレースが切っ掛けで「進路妨害をした馬がレースで発揮した能力についても最大限尊重すべき」という声が上がり、降着制度導入に影響を与えた。

続く宝塚記念では一番人気となるも、スタート直後にコース上の影に驚いて引っ掛ってしまい3着と惜敗してしまった。
そしてこの宝塚記念後に故障し、競走生活を終える事となる。

引退後は故郷の西山牧場で種牡馬となり、数少ないながらも産駒を輩出したが、父に似て気性の荒い馬が多くて大成しなかった。
種牡馬引退後も西山牧場で功労馬として余生を送っていた。
そして、2011年12月31日に老衰による心臓麻痺で30年の生涯を閉じた。

私はルドルフのライバルは?と問われたら、ミスターシービーやビゼンニシキではなく、ニシノライデンの名を挙げようと思う。