入門講座 今週の予定
カトリック上野教会
1月7日(日)12時 福音講座兼入門講座
お話しするのは晴佐久昌英神父さまです。
初めての方もお気軽に
お子さん連れの方もご遠慮なく
お待ちしております。
以前のお話
『 生きていくためには、いろんなものが必要ですから、それこそお金に至るまで、「あれも大事」「これも大事」っていっぱいあります。仕事も大事、家族も大事、いろんなことを言います。
みんな、それぞれ、「何が大事か」っていうことを決める。
大事なことは、
本当に、「自分が一番大事なもの」はなんであるかをよく知っていて、一番大事なものを一番大事にできるかってことなんですよね。
何を一番大事にするかっていうことに、正しいも間違いもない。
本人がそうしたいことをしたらいいんだけど、
神さまがその人に与えた、「一番これが大事だ」と思う気持ちみたいなものっていうのは、ぼくは、とっても神の国に近づくいい方法だと思ってるんですよ。
世の中がどう言うかとか、学校でどう教わったとか、周りの人に勧められたとか、そういうことではなく、
やっぱり自分が本当に好きだと思うこと、本当にこれが一番素敵だなと思うこと、あるいはみんなの喜びにつながれるな、そういう自分にとって一番大事なものを、みんなそれほど大事にできていないんですよ。
いろんな理由で、目をくらまされてというかね。「いつまでも、そんな子どもみたいな夢、持ってるな」とか叱られちゃったりとか、あるいは「こんなことしてても、どうせ無理だろうから、もう諦めよう」とか、
「自分が本当に憧れていること、大事だと思っていることに蓋をして、自分なんかはそんなふうに招かれてないんだ。選ばれてないんだ」、しまいには、「そんなこと、思っちゃいけないんだ」くらいに自主規制をかける。
その人の心の中で、「これが一番大事だ」と思うことを、一番大事にする。
ぼくはそれは相当程度、本当に心の奥底に響いてくるよびかけであるならば、神の国に近いと思ってます。
キリスト者であれば、愛が一番ってやつですよね。
自分の喜び、自分の楽しみが、みんなの喜び、みんなの楽しみとつながるような道。
それが一番幸せで、一番喜びなんだっていう、そういう愛の道。
心の底からそれを求める気持ちは抑えがたく。
それは、何の道でもいいんです。野球でも、音楽でも、ボランティア活動でも。
そういう気持ちっていうのは、神からきてるんですよね。
神から与えられたそういう思いっていうのを自分の中で大切にして、「やっぱり、これだよね」っていうのが聴こえないと、さっきのミサの「笛を吹いたのに 踊ってくれなかった」ってやつですよ。
神さま、ちゃんと語りかけて、響かせている。
きっと、雑音が多すぎるんですよね。かき消されちゃってて、なかなかそれが聴こえてこない。
大音量で音楽聴いていて、それはそれで大好きな曲を好きなだけ聴いたらいいんだけども、
さすがに深夜まで聴いて、聴きあきて、音楽止めたら、シーンとして、窓の外で虫が鳴いてる声が聴こえてくる。
人間のつくった曲、スピーカーもテクノロジーも素晴らしいんだけれども、
神のおつくりになった虫の声。
大音量にかき消されている。でも、無いわけじゃない。ある。
神さま、ひいきしないから。誰にも、ちゃんと、呼びかけている。
そこに耳を澄ませるということでしょうね。』
Lydia