まるで 目醒めたかのように
街路のツツジが
こぼれるように咲き始めました。
赤 白 ピンク…
初夏の訪れを告げる石楠花も
ハナミズキやコブシ、
ハクモクレンや紫木蓮…
新緑の木々も活き活きと
耀きはじめました
まさに春爛漫
復活祭過ぎて、空も、木々も、
草花も 色鮮やかに
愛おしく映ります。
何故なら
イエス・キリストが
復活なさったのですから
Hallelujah
シャクナゲ 花言葉「威厳」「荘厳」
イエス・キリストは死に打ち勝って復活し、
新しいいのちをお与えになりました。
わたしたちも主とともに死んで、
その復活にもあずかることができるのです。
今、私たちが持っている体を「地上の体」「自然の命の体」と呼び、復活の体を「天上の体」「霊の体」と呼ぶそうです。
「霊の体」これは「霊だけでできた体」という意味ではなく、天上で生きるのに適した体という意味だそう つまり、死ぬことのない体なのだそうです。
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
コリントの信徒への手紙一 15:46-47
イエスの復活の体は、弟子たちが触れることのできるものでしたが、同時に、壁や扉をすり抜けて移動できるものでした。つまり、地上の物理的制約に縛られていないということなのだと思います。
イエスの復活の体は、食物を摂取することのできるものでしたが、地上の体のように食物がなければ生存できないようなものではありませんでした。
地上の体と復活の体には、連続性と断絶性があります。つまり、朽ちる体が朽ちない体に変化したという意味では断絶しているのですが、見かけが似ているという意味では連続性があります。
イエス・キリストを救い主と信じた私たちは、復活の体を得る事が出来るのです。
生まれたままの私たちは、最初のアダムにつながっています。私たちは、アダムにあって罪を犯し、死んでいくのです。イエス・キリストは、最後のアダムと呼ばれています。イエス・キリストを信じた人は、最初のアダムとの関係を断ち切り、最後のアダムにつながったのです。私たちは、最後のアダムであるイエス・キリストの内にあって、罪の赦しと永遠の命の約束を得ます。イエス・キリストを信じる人は、やがて復活の体(栄光の体)を得て、永遠に神とともに住まうように
なれるのです。
「ハーベスト・タイム・ミニストリーズ」
より 抜粋
何と!素晴らしい約束でしょうか
「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます 」
コリントの信徒への手紙一 15:51-52
復活の体は、朽ちることのない体です。
オーバーシュートしていますね
皆さま くれぐれもお気をつけください。
新しい入門講座で
元気でお逢い致しましょう
今日も良い日でありますように。
シャローム
コロナに負けるな!
Lisieux