黄色い花ある日の上野教会でのお話から(21)黄色い花

典礼ということですけど、イエスさまがね、

「エッファタ!」って宣言なさいます。開けですね。

典礼なんていうのは、天と地がスパークするような開く現場でしょ。

そこで私たちは神の愛に出会い、

神のみことばを聞き、神さまの恵みを受けて、

日頃閉ざされているところから開かれるわけですね。

開かれる、すごく大切な瞬間でもあるわけですね。

典礼、とても大事です。

一日中開かれていればいいんだけど、なかなかそうもいかない、

すぐに閉じちゃうんで。

週に一度とかね、こうして集まって「開け!」って言われてね、

自分は何やってたんだろうって気づくみたいな。

すごく大事な時間です。

皆さん、眠いの、疲れたの、

もう今日はミサいいやとかっていう気持ちになるかもしれないけれども、

一番大事な、蛇口でいえば、こう開かなければ水が出てこないっていう、

なんていうでしょう、その開く瞬間のところを大事にしなければ、

飢え渇いたまま、水は来てても飲めないみたいなね。

 だから水も大事だし、コップも大事だし、何もかも大事なんだけども、

開かなきゃならない。

その「エッファタ!」っていうイエスさまの宣言を

ちゃんと聞いて開かれましょう。

「開かれましょう」って言うからには、

我々は閉じてるんだってことに気づかなきゃなんないんですよ。

「いや私、閉じてない。何も自由に全部開かれてます」と思うとしたら、

その人こそ本当に閉ざされてます。

自分は閉じてるっていうのにちゃんと気づいてないと、

開かれる喜びっていうのを知らない。

私たちは毎日おんなじことやって、ずっと同じように生きてきて、

これでいいと思っていても、実は閉ざされている状況だ、

閉ざされている心だ、それに気づかないと、

この「開け!」も響いてこないわけですよね。

(2018)

 

Paula