冬の茜空
TDLから撮影 2020.12.18

あかねさす
日の暮れゆけば
すべをなみ
千たび嘆きて
恋ひつつぞ居る

万葉集  作者不明


黄昏時 (誰ぞ彼時) はもの哀しい

ジャン=フランソワ・ミレーの晩鐘を鑑賞すると、田舎の夕暮れの音である 遠い鐘と祈りの声が聞こえて来るようだ

アンジェラスの祈り (お告げの祈り)
と共に一日が終わり、また はじまる


夕の祈り

一日の働きを終えた私に、
やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ

あなたに祈り、感謝します。

きょう一日、わたしを支えてくれた多くの人たちに

たくさんの恵みをお与えください。

わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、

あなたを悲しませたことがあれば、どうかおゆるしください。

明日はもっと良く生きることができますように。

悲しみや苦しみの中にある人たちを、助けてください。

わたしが幸福の中にあっても、

困っている人たちのことを忘れることがありませんように。アーメン。

昨日の夕焼けがあまりにも美しかったから
今日もきっと良い日になるだろう


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今日は、朝の御ミサ (7:30~) から一日が始まりました。静かで清々しい朝の光の中
祈り 神に向かう気持ちを整えてゆく
そして、主を迎え入れる喜び

平安と勇気に満ち溢れた一日のはじまり
キリスト者で良かった!と、思える瞬間

今朝の神父様のお話しにもあったように
身を低くして
己の気配は消して
今こそ、教会のために、隣人のために、
志願者のために、信徒のために、
行動しよう、と思いました。



神様は平安の時だけではありません。苦難のときに、その苦難の真只中にいてくださいます。しかもそこには「必ず」という言葉が入っています。必ずということは絶対にということです。苦難に襲われたから、神様がそこから離れていたということではないのです。病気や不幸や苦難があると、私たちは、「神様、なんでわたしだけがこういう目に会いますか!」と言いたくなります。苦難のない人生こそ人々が願っている幸せな生き方ではないでしょうか。でも、聖書はそうはいっていません。苦難のときこそ、神様のご臨在と不思議な導き、奇跡の業を見せてくださるのではないでしょうか。苦難を通して、神様はご自分の存在と恵みを教えてくださいます。
今まで神様がいなかった時は一瞬たりともなかったはずです。
神様はいつでも必ず、そこにいてくださいます。昔もいてくださったし、これからもいてくださいます。感謝

Hallelujah✝️栄光在主


神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

ローマの信徒への手紙 8:31 



目の前の現実がどんなものであっても、それほど重要ではない。もっと重要なのは、その現実に対する私たちの考え方 "attitude" だ。
なぜならその考え方がポジティブであれば
現実が変わるから。

-ノーマン・ビンセントピール牧師-


朝の祈りにもあるように
物事がうまくいかないときでもほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見て
positive thinkingでいきましょう。

今日もきっと良い日でありますように。

シャローム



Lisieux