振り返ってみれば
いつから全力疾走してたんだろう

最後に入院したのは12,3年前

後に夫になる太郎さんと同棲していて、依存が強くなって、色々暴れたりもしたけど

凄くいい主治医となんだかんだと甘やかしてくれる太郎さんに守られて 

のんびり暮らしてたっけな


でも、時々調子が上向きすぎて(躁)

働きたい、人の役に立ちたいって泣いて

騒いで、資格とか取ったりして


その後疲れ果てて目眩とか起こして

太郎さんに叱られて


「ほら見ろ、さくらは俺の世話だけしとけ」

って本当に

裸族の太郎さんは仕事から帰ったら

踊り子さんのようにポイポイ脱ぎ散らかしてストンと定位置に座ったら全然動かない


お風呂も、背中流してあげて、

お風呂上がりは全身拭いてあげてドライヤーで髪も乾かしてあげて


3交代制の仕事だったけど、

これは私が前の結婚の時に、残業で仕事から帰ったら、パサパサの夕食だけ出されてたのが一因となって摂食障害になったからだけど

太郎さんも、お義母さんが仕事で温かいものを作ってもらった記憶がないって言ってたから、下手だけどどんな深夜に仕事から帰ってきても出来立てを食べさせてた


その代わり、職業訓練とか人間関係が発生するようなことは許してくれなかったな


小さい頃から虐められ、嫌われ続けた記憶しかない私、相手のあることだから

相手だけが悪いはずはないと思う

太郎さんはきっと私の致命的な欠陥に気がついて、私とお相手のために関わりを許してなかったんだと思う


病気も鬱気味ながら安定して、

貧乏でいい加減な、無責任な生活を楽しく過ごして5年くらい過ぎた頃、太郎さんは

中皮腫発症。本人の望み通り、

私にブログに彼の生き様を書き残させて

太郎さんは天に召されてしまった


在宅介護は無理だよって言いながらも

さくらさんがやりたいのならって

太郎さんがウトウトしてる間に私も

ちょっとでも眠れるように超短時間型の

睡眠薬を処方してくれた

太郎さんが亡くなった後一緒に泣いてくださった、15年以上私の破茶滅茶な生活を支えて下さった精神科の先生も

太郎さんが亡くなって1年もしないうちに

命に関わるがんが見つかったとのことで

ご挨拶もできないままクリニックを閉鎖された


そして私は実家に帰った

あれだけ看病を頑張れたんだから

ストレス耐性はできたはず!


こちらでは色んな事があった

でも案外頑張れた

ダイエットして10キロ痩せて登山もした

元々人とお話する仕事だったから

様々な職業の人と関わる機会を頂いて

凄く勉強になった


アスベストを通じて知り合えた方々にも

大切な時間を分けて頂けた

自分が何十年と引きこもってる間に

知っておくべき常識から外れていることも

色々な体験をされて、許しあって、優しい方々が沢山おられることも



なぜだろう

自分が目標とする

『健常者』『憧れの大人』

になろうとすればするほど

自分の中に歪みが生まれた



今までこんな事なかったのに

真夜中に菓子パンを食べ続ける

ジムが怖くて行けなくなる

半年で体重が15キロ増えた

睡眠薬が効かなくなった

母に攻撃的になった



自分が ゆるせない



母に話して私の胸の

危険な種が芽吹く前に病院に相談

極力早めに入院となった




いつからなのか なぜなのか

すでにわからなくなった

がんじがらめのロープを

数ヶ月かけて解きに行ってきます



今度戻ってきたとき

どんな自分になっているかは

わからないけど



とにかく誰も傷つけずに

笑って過ごせるように

そして一番きつい作業だけど

病気を受け入れて

コントロールできるようになるといいな