今日は朝5時に、寝ている母を叩き起こし裸に剥いて背中にステロイド軟膏を塗るところから1日が始まりました🙂
天気は曇天ですが、雨はなさそう。
でも目的地は降水確率80%くらいか。
以前お会いしたときに渡しそびれたお土産を、いかに濡らさないように考えに考え、冬用の撥水登山リュックに防水カバーを準備して、6時に来てもらっていたタクシーに乗り込み佐賀駅へ到着。
JRで遠くへ行くのは、姉が東京駅八重洲口近くのマンスリーアパートに研修目的で滞在していた時に、付いて行って3週間ほど遊んでいた母を迎えに行って以来。25年位前か。
今度は、新大阪駅まで行き、お伺いする2日ほど前から、お互い、自宅出発からお会いできるまでの乗り換えの時間や乗る新幹線の席まで教えあって、出来るだけすれ違いを避け、余裕のある行動ができるように綿密に打ち合わせをした結果、新幹線から降り立った途端、すぐにshibasakuraさんが駆け寄ってきてくださいました😆
私は、九州からですが、恐らく東京の方よりもユーモアセンスとか県民性すべてが私の育った環境と真反対の場所。30年ぶりに初めの夫の加護の元訪れた以来です。
関西の方と円滑にコミュニケーションをとれるよう、何故か手首のスナップを効かせた なんでやねん
の練習を何十回と新幹線の中でしていて、もう完全に浮足立っていました😅
イメージとしては、ザ・ファブルの実写に出てきたジャッカルさんの真似をしているアキラのような感じでしょうか。
わかってくださる方だけでいいです。
田舎育ちの私のこと、あっちのキラキラ、こっちの高い建物、長ーいエスカレータに美味しそうな食べ物…
すぐにあらぬ方向へフラフラしていく私を
shibasakuraさんは介護をするように、先を読み、丁寧に導いて下さいました🥰😭
それから、乗り換えをし、お会いできる事を熱望していた推し(推しメンと最初書いていたのですが、メンって男性の意味ではなくて、複数いるグループのうちのヒトリのメンバーという意味だったので訂正)の所へ一駅一駅近づくごとに、落ち着きがなくなり、
何か歌を歌いたいですね、サザンがいいよね、
私「みんなのうた」なら知ってるけど、急ごしらえはかえって失敗するよね、練習しておけばよかった〜
あ、海見えました、
ここ、彼が見て育った海かなあ、
ユイちゃんの散歩されてた場所は近いかな
降りて歩きたいね!
あ~ファンサうちわ持ってくれば良かった!
なんてワクワクしながら最寄りの駅に着くと、妹さんが車でお迎えに来て下さっていました。
とても親切で、初めてお会いする私達にも(shibasakuraさんは2回目かな?)とてもフレンドリーに話かけて下さり、緊張していた気持ちをほぐして下さいました。
私の住んでいる県は、以前県民に向けて、『佐賀をサガそう』と、
自ら住んでいる県を見失っているかのようなキャッチコピーをつけていたくらいで、
当然県外の方からするともっと認知度が低いのですが、車中で、しばらく縁があられたことを話していただき、一気に親近感が湧きました。県民性のことも見抜いてあり、とても鋭い観察眼を持たれているのだなと思いました。
道中、右田さんに関連する情報を色々教えて頂き、もう気分は聖地巡礼です!
ご自宅に到着したとき、私は右田家の食卓によく登場するトリさんが気になってしまい、鶏小屋まで案内して頂きました。以前、実家で人を襲いまくる凶暴な白色レグホンと愛らしいチャボを飼っていたので、どのような鶏を飼ってらっしゃるのか見たかったのですが、想像していたのよりはるかに大きい立派な鶏さんでした。
(右田さんは、ここまでの経過はご存知ないので、もし先にこの右田さんブログの読み込み具合と盛り上がりを知っておられたら、気持ち悪いと思われたかも?
でも、推し活というのはこういうものですから🥰)
いよいよ玄関にお邪魔したとき、こちらまで聞こえる大きな声でご挨拶してくださった時、本当に嬉しかったです!
お会いして、お写真で拝見した時よりお顔の色も良くて、嬉しくて、shibasakuraさんと、代わる代わる沢山力強く握手して頂きました🥰
そして、二人して右田さんの大ファンなんですけど、どちらかお嫁さんにしていただけますか?なんて。
そしたら、二人共とりあえずお嫁さん候補としては、認めていただきました😂
では右田さんを挟んで寝るにはシングルベッドは狭いね、なんて話ながらよく見ると、右田さんの側にはしっかりユイちゃんが守るように寄り添って眠っているではないですか🥰
私達が割り込む隙はないですね、
ということになりました😆
それから、以前熊本で2回お会いしたときのお話や、陸の現在そしてこれからの夢の事をお話させていただき、
大切なお言葉を沢山頂戴しました。
妹さんからも、色々なことをお話しして頂き、ご家族と右田さんの強い絆や、在宅医療チームの心強いサポートの事、
ご病気が発覚してから、自分だけの事ではなく、同じように罹患された患者さんやご家族、ご遺族の不安や悲しみを、その大きな手で、一人残らず取りこぼすまいと、新しい医療や積極的に治療に取り組まれている病院や医師、国の支援制度などの情報を発信するために多岐に渡って活動され、その輪を広げて、繋げ続けるべく先を見すえておられるのが改めてわかりました。
そして、右田さんのその活動が、恐らくご本人が想像されているよりも、もっと大きな意味で人と人とを結びつけ、励まし支え合い、力となり、新たな目標を持たせて前に進ませていると思います。
もちろん私もその一人です!!
天職と信じて働いていた仕事を病気で辞め、めちゃくちゃな生活から、夫と知り合ってやっと得られた幸せを急に中皮腫という病気で奪われたのは事実です。
しかし、それだけでは、右田さんのご自宅を失礼したあと、shibazakuraさんとハグして新大阪駅でお別れした帰りに、ホテルへ帰らず欲を出して、ネットで出てきた淡路島のアンテナショップまで3キロという情報を信じて一人でタクシーで向かい、梅田の観覧車を横に見て、御堂筋とやらまで着てしまい、上がり続ける料金メーターに、汗ダクダクになる私の未来は絶対にありませんでした!
御堂筋から地下鉄で帰ろうと試みるも、方向がわからず、タクシーを呼んでも3社に断られるなんて、私の田舎の常識にはありませんでした!
ようやく乗れたタクシーが接触事故を起こして、関西弁のケンカみたいなやりとりを目の当たりにするなんて…
こんなスリル満点な楽しい未来は、右田さんと出会えたからこそなんです😂
右田さんが引き合わせて下さった沢山の方々との出会いがなかったら
ただ一人で夫を見送っただけだったら
私はただ自分の不幸を嘆いて、再び引きこもりの生活に戻っていただけでした。
もっと悪い結果もあったかも知れません、夫だけが私を良くも悪くも甘やかし、依存させてくれていたので。
自分の事をなんにも出来ない夫に対して
甲斐甲斐しく世話をし、喜怒哀楽を全て二人だけの世界で満足させて、見送って。
人からは
「よく尽くしたね」と褒めてもらえた。
夫の満足が私の満足だったから、お褒めの言葉はとてもありがたかったけど、私の半身どころか全て失ったと感じた。
闘病ブログとしてはそれで終わり、で良かった。
でも、生活はそれで終わりではなかった。
辛いことがあっても、頑張って前を向いて自分自身の手足で闘って、しかも人に優しさを向けてくださる皆さんと知り合えてなかったら、空っぽになった自分を抱えて途方に暮れていたと思います。
なんででしょう。
書きながら、気づいてびっくりしました。
なにげにつけたタイトル。
悪性胸膜中皮腫の夫を見送って
〜生活は続く〜
6年経って、一周回って、やっとそのタイトルの持つ意味に、今気が付きました。
偶然のようだけど、きっと奇跡である右田さんとの出会い。
神様とか信じないけど、なにか大きな力が動いて、引き合わせてもらえた。
そして、我儘で偏屈な私に辛抱強くコンタクトを取ってくださる皆さん。
回り回って、小さいアパートから、大阪の都会まで引っ張り出して下さいました😆
沢山勇気をもらい、救っていただいています。
本当に、本当に感謝致します。
結論→ やっぱり、推しが尊い。