テレビもお正月気分が消え、
仕事始めの1月6日の朝、
すっきり気持ちを切り替えられるかと思っていましたが、何故か気分はひどく塞いだまま。


義母のお宅で話したこと、聞いたことが、
頭にこびりついたまま。
そのあとに突然おきるフラッシュバックは、
頭のどこかにある“かさぶた”が
なんの前触れもなく剥がれて、血の変わりに
私の中の『負』の記憶があふれだす感じ。


精神安定剤を何種類か持っていますが、
恐らくそれで緩和されることはないので、
でも、これはどんどんひどくなって、
しまいに病気も悪くなって、
永遠に終わらないのではないかと思いました。



そんなお正月休みだったのですが、
1月6日、
どうにか、記憶に新しい生活を上書きして、
『負の記憶』を『思い出』に変えるために
作業所にだけは、平気な顔をして通いたいと
思い、出かけることはできました。



お芋の皮むき中、雑談でお正月の過ごし方を聞かれ、普通に

「義母のお宅にご挨拶に行って、それから
実家へ帰りましたニコニコ

とお話し、休憩を挟んで、
パソコンの指導を受け。


15時になって帰宅のために、
靴を履いて玄関を出たら、涙がぶわっと⤵
そのまままっすぐ車に逃げ込もうとしたら
タイミングが悪いことに、ちょうどそこへ
訪問に出かけようとされていた女性の指導員さんから背中から声をかけられて…


なんでもない世間話で声をかけられたのに
振り向いた私が完全に泣いていたので
びっくりされて、


指導員さん
「な、どうしたんですか!?」


もう、夫が亡くなって5ヶ月も経つので、
誰かに心配してもらうのも、
いつまでもめそめそしてるのも、
障害者だからといっていつまでも鬱々として
必要以上に配慮を求めるのも気が引けて、

色んな事を覚えたり間違えたりするのはストレスだけど、
作業所の居心地は100%悪くないのに、
泣きながら出てきてしまったのを見つけられたばつの悪さに、あわてて早口で半笑いで


「もう、すみません、情けない…⤵」
「いい加減、慣れないといけないのに、
いつまでも、すみません。大丈夫なんで、
また明日来ますんで、よろしくお願いします」


とそそくさと車へ乗り込み、出発しました。




またその帰りの情けないこと。
運転中だから、涙は押さえ込みましたが、
10分ほどでアパートに着き
それから駐車場でしばらく泣いてしまいました。


すると、作業所の所長さんより着信があり。
指導員さんから報告がいっているだろうことはわかっていたので恐る恐る出ると


所長さんから
「すみません、私の指導がきつかったのでしょう?先に進みすぎましたね、大丈夫ですか?」
と謝られてしまいました。


さっき私が指導員さんに言ったこと
「もう、すみません、情けない…⤵」
「いい加減、慣れないといけないのに、
いつまでも、すみません」


パソコンの指導についていけなくて
負担で泣いているように聞こえる…⤵


仕方なく、本当の事をお話しました。
「すみません、ご指導頂いていることも、
作業所の雰囲気も、何も問題ありません。
私の心の問題で…
主人の事が、急に思い出されることが多くて
涙が出ることがあって。
なかなか、受け入れられなくて…
ご心配おかけして申し訳ありません」


すると
「そうでしたか。
ご自分で『受け入れられていない』と
自覚できておられるのなら大丈夫ですよ。
無理しないでいいですから」
と言っていただけました。


それから、部屋に戻って、
結局またずっと泣いて、
ブログを開こうとしたのですが、
癒され、温かい気持ちになりつつも
涙しか出てこなくなったので
作業所に通所しつつ、
ネットはしばらく休憩していました。



今日、ようやく涙がひいたので、
少し今の自分の気持ちを書き込んでいますニコニコ


こんな時期もあるのだと思います。
これから、夫が大好きな桜の時期が来たら
また涙するのでしょう。
夫の誕生日が来たら、一周忌が来たら。
とりあえず、一年頑張ってみます。


それまでに、作業所にできるだけ通って
失われたものだけでなく  
今あるものを大切に
できることを増やして前に進みたい。


そんな気持ちです。