お昼過ぎから、義母のお宅へと年始のご挨拶へ向かいました。
お昼ごはんは済ませていきます、と先に伝えていました。



義母のお宅の帰り、少し遠回りになりますが、
高速に乗って実家へ向かう予定にしていました。



今日の私の目標。

『正月を一緒に過ごさなかったぶん
義母のきのすむまで話を聞く』


義母の家につき、チャイムを押してドアを開けていただくと、義母が顔を出され、涙を流されました。


年始の挨拶を済ませ、2階のご本尊にお線香をあげ、手を合わせると、仕事の事を聞かれました。


「かろうじて、
なんとか1ヶ月続きました」

義母は、にこにこして、
「良かったわ!引きこもるなんて良くないと思っていたの!
家にいてもろくなことはない。太郎も
『さくらは元気になるから、心配しなくていいよ』って言ってるのよ、元気になるわよ、
私も心配してないわ」

「そうですか、なら私は元気になれますね」

そうか、たまに仕事休んだりしてるけど、
太郎さんがお義母さんにお告げをしてるんなら
私は元気になるんだろうな。


そんなことを考えながら、居間でお茶を頂きました。

「男の子は、何を考えているかはわからないんだけど、太郎とはもっと話しておきたかったとよく思うのよ」

涙ながらに言われました。

「病気になる前に、太郎からお墓とか納骨堂の話をされた事があって、
あれも今から考えれば、
仏様が太郎に言わせたことかと思うと
悲しくて悲しくて。
縁起が悪くてそんな話をするなと怒ったけど

「いえ、それは誰がいつどうなってもわからない年齢だから、常々夫婦でお義母さんと相談しておくべきだと言っていたから折を見て太郎さんからお話してもらっただけです。
結局、病気が発覚してからだとこんな風に
色々悪い風に考えるでしょう?
だからみんな元気なうちに決めておくべきだと考えたんですよ

義母
「…。」

そんな話から、涙ながらに、太郎さんについての義母への気持ちが話し出されました。


義母
「太郎は、私の事はどう思っていたのかしら」

➡お願いしていたように、持ってきてもらいたくない物を持ってこられた時は怒ってらしたけど、お義母さんの事はずっと気にかけておられましたよ。
太郎さんは、やっぱりお母さんが大好きなんだな、と思うこともよくありましたよニコニコ

義母
「私はもっと太郎と話がしたかった」

➡いや、ずっと、太郎さんの話に耳を傾けて、家族としての話をしてくださいとお願いしてしてましたよニコニコ

義母
「あなたたち夫婦の時間をじゃましちゃいけないって思って行けなかった」
「私は母親だから、太郎が苦しむ姿を見るのは辛くて行けなかった」

義母を問い詰める感じではなく、ただ堂々巡りになっていく義母の話を聞いていました。


義母

「太郎の最期はね、
私は心臓が止まったときに間に合わなかったけれど、顔を見たときにどれだけ苦しんだかわかったけれど、太郎は私に苦しんだ顔を見せたくなくてあんな穏やかな表情のふりをしたんだと思うのよ…」

「太郎は母親である私のために、
すべての苦しみを我慢したの、
仏様がそう言ってくださってるの」

「さっちゃんが、私に会いに来てくれたのも仏様が与えてくださった不思議の力なの。
ありがたい、仏様ありがとうございます」


もっと、たくさん、たくさん、色んな話をされました。
私も、最期まで側にいた者として、妻として、
義母の辛い方の思い込みは、
「違うと思う」と否定もしましたが。
ご本人の抱く不安や、疑問はすべて、
心から溢れる仏様や太郎さんの言葉、
お師匠である山の先生に助けをこうているのだそうです…


義母は、あまりにも普段涙が止まらないので、
心配して週に1回会いに来てくださる
真理さんからも叱られるのだそうです。
なので、涙が溢れて止まらなくなる太郎さんのもう話はできないのだそうです。



月に2回ほど通われている山の先生に、
何回も太郎さんの現在の話を伺うと


「もう、太郎は仏様のところで立派に修行をしている。遺された者がいつまでもぐずぐずいうな!」

「お前の生き方が悪いから、子が先に逝ったんだ!親の因果が子に報うとはこの事だ!」


…と、言われたそうです。
私は仏教用語はよくわかりませんが。
    

…この言葉、誰か救われますか?
私がその場にいたら、恐らく数珠をぶっちぎって投げつけたと思います。


夫を亡くした私より、子を亡くした義母の方が深い深い出口のない悲しみに沈んでおられるはず。


夫が病気してから、亡くなるまで、すれ違い続けた私たちでしたが、


私自身、義母に対して人に言えない感情がヘドロのように渦巻いて、ぶつけてやろうかという気持ちになることもありますが、


本当に子供に、何かをしてあげたい気持ちや、
失うかもしれない不安からされた行動が
たまたま噛み合わなすぎただけのことであって
義母自身は優しく、絶対に悪い人ではありません。


むしろ私が神経質で、
人の言動を悪意に取りやすい人間なんです。



私は、何も言えず、ただ私ができることは
太郎さんの思い出を共有できる人間として、
二時間ほど義母の話に耳を傾けました。


しばらくして、日が傾きかけた頃、


義母
「さっちゃんもそろそろ出ないと、実家に着く頃は真っ暗になるわね。また来てね。
それから、お母さんと、私とどちらを選べとは言いづらいけど、私はあなたにここの地にずっと住み続けてほしい。太郎の望みでもあるの。
あなたがいないと淋しい。
娘は嫁いでいるし、性格がきついから。
みんなで助け合って生きた方がいいわ。
なんだったら、お母さんをこちらに呼んで。
話し相手になるし、介護も手伝うから


「選択肢の1つとしてですねニコニコ
でも、母も田舎の人ですから、75歳で県をまたいで引越しさせるのはきついですから」


そう言いつつ、義母の部屋を後にしました。



20分ほど走り、高速にのり。
ボロい軽自動車なので、時速80キロて、
スピードを安定させてしばらくして。
いきなり、夫と在宅で過ごしていた頃の景色が
次々に脳裏によぎりました。
封印していたわけではなかったけれど、
少し遠ざかっていた、温かい時間だったけれど夫にとっては辛かった時間が、さっきまでの
義母との会話で引きずり出されて、頭から離れません。


事故渋滞などで、車が次々に車線変更をしてきたり、アクセルを緩めたりブレーキもかけたりしなければならないのに、涙が次々にこぼれて、ハンカチでちょこちょこを目をぬぐいながら必死でハンドルを握りました。


規制ラッシュで、サービスエリアは入口も出口もすでに渋滞。
もう前に進むしかありません。


途中でアパートに帰ることも考えましたが、
帰って一人きりになるより、
待ってくれている母のところに無事にたどり着きたいと考えて、三時間かけて、すでに日がくれていた実家につきました。


駐車場に着くと、勝手口からすぐに母が出てきてくれました。


温かい部屋にはいると、おせちの残りを詰め合わせたものをすぐに出してくれて、
仏壇に手をあわせてやっとホッとしました。


そのかわりぐったりして、
日が明けた今日も2時位まで寝ていました。
母についてきてもらって、地元の公園2ヶ所を散歩して、
家に帰って思い余って、ブログ仲間の友人に
お電話させて頂き、昨日の出来事をお話ししました。
そして、やっと、元気が出てきました。


結局

義母のお話を聞けたこと

これだけで良かったのかもしれませんニコニコ



また渋滞にはまるのも嫌なので、
明日早朝には出発しますニコニコ