私が双極性障害を一番こじらせたとき、仕事を二の次にして支えてくれた旦那。

陸と父親がもめたときも、文句を言わず、私がしたいようにさせてくれた旦那。

 

籍を入れて、まだわずかな期間だけど、もうこれ以上わがままは言えないから、離婚も致し方ないな。

 

私のせいで、色んな人たちの運命の歯車を狂わせてしまった。

これからは、元夫(旦那と区別がつきにくいので、以後タカシさん)と、陸を支えて生きていこう。

 

そんなことを考えながら、数時間かけてタカシさんの運ばれた大学病院にたどり着きました。

みんなそれぞれに忙しいはずなので、姉と陸に

『医大につきました。しばらくしたら陸の家へ向かいます』とだけメールし、マナーモードに切り替えました。

 

 

旦那は、

 

「俺は、ここでは他人だから、さくらだけ行っておいで。」

 

と言って、車で横になったので、私は一人でICUに向かいました。

 

私が以前、働いていた病院。職員さんの中には、結婚式に来てくださった方もいるはず。

顔見知りがいたら、話は早いけど、だいぶややこしいことになる。

カルテへの聞き取りの時、タカシさんの苗字でも、結婚前の苗字でもない私を、タカシさんや陸のキーパーソンとして認めてもらえるのか。

 

何にしても、事故が軽くて、タカシさんの意識が戻っていますように!

 

ICUのインターホンでタカシさんの名前をいい、迎えに来てくださった看護師さんとあいさつし、(先に面会に来た姉が、私の名前を知らせておいてくれていました)

手洗いをして、マスクをすると、看護師さんが

 

「あの、事故にあわれたばかりなので、ちょっと外見で驚かれるかもしれませんが…」

 

と、前置きされました。

 

 

沢山の器械と、点滴、輸血に囲まれたタカシさんは、頭部と顔の外傷やあちこちの骨折で想像以上に重体で、よく、命を落とさずに持ちこたえてくれた、と思いました。

それと同時に、離婚する前の仲が良かった頃、離婚したあと、元気よく怒っていた頃のタカシさんを思いだし、色んな感情が吹き出して、涙がとまらなくなりました。

 

しばらくして、一人にしておいてくれた看護師さんに、

 

「父親と会った時、陸はどうでしたか?」

 

と聞くと

 

「Nさん(タカシさんや陸の苗字)の伯父さんと見えていましたが、ショックを受けておられるようでした。もうしばらくしたら、また見えるそうですよ」

 

と言われ、出してもらった椅子に座り、30分ほどタカシさんの手を握り、薬で鎮静をかけられている彼の深いところの意識に届くように、あれこれ話しかけました。

 

 

しばらくして、陸と姉が現れ、

おそらく寝ずに動いて疲れているだろうけど、平気そうに逆に労ってくれる姉に、

色々してくれたお礼を言い、

逆に表情が固く真っ青な顔の陸に、

 

「きつかったね、一人にさせてごめん」

 

と言うと、陸は固い表情のまま小さく頷きました。

 

旦那が車で待っているので、1度駐車場へ戻ろうとなり、3人でICUから出ると、そこへ

陸に向かって小走りで、身綺麗な、私と変わらない位のの年齢の女性が走り寄ってきました。

 

姉が、その方に声をかけ、何か言葉を交わして、

 

「さくらはここにいていいよ。陸と私で案内してくる」

 

といい、3人で再びICUへ戻っていきました。

 

私は、あれがもしかして、タカシさんの彼女さんかな?車で一時間半くらい離れたところにすんであるはずなのに来てくれたんだ…

ありがたいな

と思いました。

 

15分ほどして、泣いている彼女さんを連れて、姉と陸が戻ってきて、また姉とやり取りをして帰っていかれましたが、その際、彼女さんが私をにらむような目で見てこられたのが気になりました。

 

 

後で、姉に、彼女さんにどうやって連絡をとったのか聞くと、タカシさんの会社や知り合いの連絡先を知るために携帯を調べていたら、事故に遭う直前まで電話やメールをしていたのが彼女だったと。

これは、知らせた方がいいと思い電話をして、入院先を教えたということでした。

 

しかし、ICUでは、タカシさんの姿を見て泣き崩れたものの、しばらくして彼女さんは

 

「陸くん、お父さんの携帯は!?」

 

と言い、陸がピンと来ないまま差し出した携帯をさっと取ると、何か操作をして返したそうです。

 

そして、陸の顔を見て

 

「あなたのせいでタカシさんは事故にあったのよ!」

 

と言ったそうで、

陸は、無表情のまま目を伏せていたということでした。

 

「タカシさんは、彼女さんには、さくらのことも陸のことも良いようには話してなかったんだろうね。

彼女さんが携帯に何をしたのかと思ってタカシさんの携帯確認したら、彼女さんからの送信履歴だけきれいに消去されてたよ。

 

お父さんが事故に遭ったばかりの子供差し置いて、いきなり証拠隠滅に走って、はじめてかけた言葉が

 

「事故はあなたのせい」って大人としてどうかとは思うけどね…

 

陸にはかわいそうだったけどね、人ってこんなときに本性が出るんだよね。

 

これから、陸の回りにいろんな人が出てくるけど、自分がどういう立場に立たされていて、寄ってくる人間が自分にとって味方になってくれる人間かそうでない人間かををきちんと判断してもらうためにも、きついだろうけど陸自身がよく観察しないとね。

 

だから、かわいそうだからって、人との会話を遮ったりして陸をかばうのはやめておきなさいよ」

 

その時は、今になったら、姉の言葉もなるほどな、と思えますが、その時は

(本人の前でずいぶんとひどいことを言うものだなショボーン)と思いました。

 

 

旦那の待つ駐車場へ戻り、それぞれの車で、

陸とタカシさんの家へ行き、リビングで

陸、姉、旦那、私でこれからどうするかについて話し合いました。

 

私が、旦那と車で話したことを、告げようとする前に姉は

 

「私の勝手な考えだけど、陸が一人でこの家に住むのは、無理すぎる。

陸は自分の事が何一つできないし、これから先のお金の管理やいつまで続くかわからないタカシさんの療養のこと、事故の加害者とのやり取りもすべて16の子供がやるのは厳しい。

だから、

 

私がタカシさんと陸の後見人をやる

 

と言いました。

 

私は、全く予想もしていなかった姉の発言に、ただただ驚きました。

 

実は、警察署で取り調べを受けているタカシさんの事故の加害者が、55才の無職の男性で、自動車保険は入っていたけれど、車検を通さないままの車を運転して事故を起こしたこと、

年金受給者の高齢の母との、市営住宅での二人暮らしで、財産がなく今後の保障の見通しが立たず、これは弁護士をたてる案件である事がわかっていました。

 

陸は

 

「僕は、一人で暮らしていけるよ!」

 

とはじめて強く自分の意思を訴えましたが、

 

「無理。やらなきゃいけないことが多すぎる」

と姉はバッサリ、

 

私も、陸が一旦父親から離れ、落着きたい気持ちはよくわかりましたが、一人暮しはあまりにも現実的ではなかったので

 

「陸は一人暮しは無理だよ。私がここに来て、一緒に暮らす。」

 

と言うと、姉から

 

「それも無理」

 

とバッサリ切られました。

 

「あんた、一時の色んな感情で、陸と暮らそうと思っているでしょう。

太郎さんとの生活はどうするの。賠償に何年かかるかわからないのに別居?また、離婚して帰ってくるの?」

 

「それに、あんたお金あるの?

タカシさんの成年後見人が認められるまでどのくらいかかるかわからないけど、タカシさんの貯金を動かせるようになるまで、今人工呼吸器つけたりの高度医療受けてるぶんのお金はある?

ここでの生活費は?陸の学費は?弁護士費用は?

陸の将来の学費も考えて切り詰めなきゃいけないのに、タカシさんの貯金に手をつける気?

それとも実家からお金を借りる?」

 

何も考えず、目先の感情に振り回されていた私は、現実的な姉の意見に、何も反論できませんでした。

 

「あんたみたいに、精神的にも弱くて相手のいうがままに流される人間が、この先裁判とか、保険会社とかと交渉できるの?」

 

「タカシさんや陸のために何かしたいと思うのは当然だけど、できもしないことをいわないで。

そんなことを議論する暇はないんだよ」

 

「幸い、私は預貯金だけは少しはあるから、数年くらい2人の生活を支えたって平気真顔

それに、事故の補償も、めちゃくちゃ頑張って、がっぽりもらって、私が出した分と手間賃を倍にして返してもらうから大丈夫!ニヒヒ

なんだって勉強だよ!」

 

表情や、態度を取り繕う人ではない、はっきりした言葉は、余計に姉の覚悟も感じさせられました。

 

「でもね、私は子育ての経験がないし、こんな物言いしかできない人間だから、陸のことを支えられるのはさくらしかいないと思う。

 

じきに学校のこともまた考えなきゃいけない。あと、タカシさん関係の保険書類がどこにあるか、預貯金のとりまとめも、タカシさんの性格を知っていてここに出入りしているさくらにしかわからないことがあるから、そちらのフォローをお願い。

 

月に1~2回、まとめてきて、働いてもらうことをお願いしたい。」

 

私は、わかった、ありがとう。よろしくお願いします。と心の底から、お願することしかできませんでした。

 

そのあとは、夜遅くまで、具体的に何を分担するかについて話し合いました。

 

旦那は、なれないタカシさんの家に初めて泊り、翌日に、

 

「いつまででもいいから、落ち着いたら帰っておいで」

 

といって帰っていきました。