『アナザー・プラネット』④ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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そういう訳で、先週の続きです。

 

 

 

本書にかかる

原書掲載の推薦コメントです。

 

――でもあれですね。

 

あちらの本はこういうの全部

カヴァーに直接刷っちゃうんですね。

 

本邦だと大体の場合

オビにしか書かれませんが。

 

ひょっとしてコストの問題かな。

 

まあとりあえず。

 

 

「本書『アナザー・プラネット』は

 七〇年代に郊外で育った

 十代たちの姿を描き出す。

 同時に壮年の立場から

 自身の若い頃を

 訪ねなおす物語でもある。

 素晴らしい。

 読み始めたら絶対にやめられない」

 ――ニーナ・スタイブ(作家)

 

割と今回の本はだから

特に実作者の人たちに

評判がよかったらしく

 

本国の版元さんも

とちらかといえばそこを強調した

人選になっている印象です。

 

もっとも残念ながらこの

ニーナ・スタイブなる方もまた

 

邦訳が出ている感じでは

まったくなさそうなのですが。

 

 

「ここで取り上げられている惑星とは、

 私たちの数多くがその光を浴びながら、

 不可解にもこれまでほとんど

 描かれることのなかった場所を指している。

 トレイシー・ソーンは

 回想録の形を採って

 そこに光を当てている。

 熟練味さえ感じさせる筆致は

 ユーモアに富み、

 やがてページが進むにつれ

 辛辣さを増していく」

 ――ケヴィン・バリー(作家)

 

こちらもまた、やはりまだ

邦訳のない作家さんからです。

 

この方は昨年発表した

Night Boat to Tangierという作品が

 

ブッカー賞の候補になったりも

されているようで、

 

そのうち多少は本邦にも

紹介されてくるかも知れません。

 

個人的には来年予定の

短編集らしい作品のタイトルが、

 

That Old Country Musicだ

なんてところに

 

触手を動かされたり

しないでもないのでありますが。

 

まあ読むかどうかは別として。

 

 

確かに僕自身、本書を説明するには

この人のコメントが

一番的を射ているかもなと

思わないでもないでおります。

 

特に冒頭の

『アナザー・プラネット』とは

いったいどこぞやという部分ですね。

 

前にも書きましたが

これはだから僕なんかは

 

絶対ジギー・スターダストが

やってきた星だよなとか

思っている訳です。

 

実際作中ではボウイのことも

繰り返し引き合いに出されてきますし、

 

一人の部屋でラジオから流れる

ジョイ・ディヴィジョンの

「トランスミッション」に

 

必死で耳を傾けている

若き日のトレイシーの姿は

 

まさに「スターマン」の描いた

世界の中の景色のようです。

 

 

「静かなる反抗とそこからの回復、

 そして希望とが

 互いに干渉し合って揺れ動く」

 ――エリフ・シャファク(作家)

 

ようやくこのシャファクは

本年9月に、

最初の邦訳作品が出てくる模様。

 

トルコ出身で、

英語でも執筆する女流作家です。

 

さすがにそういう

視点だなと思わされます。

 

本書の手触りを

ひどく静かなものに

している要素というのはたぶん、

 

若い頃にはできなかった、

一人の人間として

両親の立場に寄り添うということを

 

トレイシー自身が

過去と現在を行き来する形で

浮き彫りにしているからです。

 

 

では最後に音楽畑からのコメントを。

 

「十代の怒り、母親であること、

 不安発作、家族、そして音楽。

 これらを親しげに描き出してしまう

 ソーンの文章は感動的で

 かつ洞察に富み、

 繊細で同時に捻りまで効いている」

 ――コージー・ファニ・トゥッティ

    (fromスロッビング・グリッスル)

  

スロッビング・グリッスルは

七〇年代の半ばにすでに

“インダストリアル”を

やっていたという伝説のバンドで、

 

僕もリアルタイムでは

まったく知らなかったのですが、

 

最近初めて聴いてみて

いや、70年代にこの音かと

心底びっくりさせられました。

 

 

このコメントもこの通りで、

本書が扱っていることは

終始けっこう重ためなんです。

 

自身がイジメの対象となったことも

ちらりとですが出てきますし、

 

級友の一人に対し

自分たちがどれだけ共感を欠き、

 

むしろ残酷とも呼べそうな態度を

取っていたかなども

自省的に書かれはするのですけれど、

 

それがその場所で

沈み込んでいくようなことはなく

 

かといって軽佻浮薄に

なり過ぎることもない。

 

母親の健康的な不安の発露に

当時気づけなかったことを

自責する場面なんぞは

まあ決してその限りではないですが、

 

いずれそんな悲しみもまた、

抑制の効いたとしか

形容しようのない筆致で描写されます。

 

こうしたトーンが上手く日本語に

できていればなと思っています。

 

 

なお、コージー・ファニ・トゥッティは

同じPヴァインさんから

やはり自伝が邦訳されて出ています。

 

せっかくなので御紹介。こちらです。

 

 

また、僕が聴いて驚いたという

スロッビング・グリッスルの

作品の方はこちらになります。

 

まあ確かに、聴いてワクワクするとか

心が洗われるといったサウンドでは

まったくないのですが、

 

すごいことは間違いない気がします。

 

 

さて、今月末に発売予定の

デボラ・ハリーの自伝ですが、

 

邦題も『フェイス・イット』で確定し

日本版の表紙も出て参りました。

 

とはいえ原書と基本同じです。

 

 

デビーの唇の上のところに

小さく僕の名前が入っております。

 

――ま、嬉しくない訳がない。

 

そろそろ中身についても少しずつ

この場で御紹介させていただくつもりです。

 

 

それから八月発売の仕事の件ですが、

これはとあるアーティストの

 

あるアルバムの

三〇周年記念盤です。

 

今回御縁があって浅倉、

こちらの方でも歌詞他多少の翻訳を

やらせていただくことができました。

 

時期が来たら改めて同作も

ここで御紹介させていただこうと

思ってはおります。

 

 

とはいえこれで終わるのも

素っ気ないので

大きなヒントをさらに一つ。

 

それこそボウイのベルリン三部作を

語るうえでは

 

決して避けることのできない

あの方の作品です。

 

誰のどのアルバムか、

好事家の方は

想像していただければと。

 

まあ、ほとんど

ヒント出し過ぎですけどね。

 

よもやこの方の作品に関われようとは

自分でもまだびっくりしてます。