「ひょいの話」再掲 ① | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

災害に匹敵する猛暑の後は
週末には台風が接近どころか
どうやら上陸するのだそうで
類例を見ないような異常気象に

ひょっとして温暖化とは
こういうことなのかな、などと
毎日首を傾げております。

諸々ご心痛なりご不便なりを
余儀なくされている皆様には

こんな場所からではありますが
慎んでお見舞いを申し上げます。


さて、出し抜けではございますけれど、
記事タイに掲げました
この「ひょいの話」という短編、

十三年に発表して
未書籍化のままになっている一編です。

ちなみに初出誌はこちら。




こういうのもまだ
結構なくはないのですけれど、

せめて電子化くらい
してくれるのかと思いきや
どうやらそういう気配もなさそうでして。

愚痴めいてすみませんが、
そういう訳でこのまま眠らせてしまうのも
けっこうもったいないよなあと思ったのと、

翔子さんとかLionheartvegaさんとか
なかなか手に入り難いテキストを
探して読んで下さっている皆様に、

どうにかして何か届けたいなと
常々思っていることは確かなので、

思い切って改めてここに
載せてみることに致しました。


もう十年くらい前から
このネットという環境の
書き手としての使い方という点については

悩んできたというか
むしろ傍からみれば僕なんかは
試行錯誤の連続にしか
見えないだろうなあと
思わないでもないのですが、

まあ正直今もよくわからないままです。


ただこういうチャンネルが
あることは確かだし、

いろいろ暖かいお言葉も
重ねて頂戴しておりまして、
ともすれば折れそうな場面で

またなんとかと
思えていることも確かです。

その御礼になればなあとも
思わないでもありません。

そこでとにかくまあ、
新作をずっと待って今なお
時々ここを覗きに来て
下さっている皆様に

とにかく何か
届けられればいいなあと、

既発表作品ならば
こういう形もありかもなと
そんなふうに思った次第です。

そしてもしこのテキストに
お付きあいいただいた時間を
楽しいと感じてもらえたなら

こんな嬉しいことはない訳でして。

ですからまあ、お題は見てのお帰りで、と
いわばそういった感じなのですけれど

今回と次回、二回に分けて
ここにUPしてみますので、
最後まで終わって
お気に召していただけましたら、

いいねとかコメントとか
おいていって下されば
大変光栄に存じます。


さて、ではこの「ひょいの話」です。

書いた本人としては
結構大胆というか、
かなり野心的な試みだったりします。

そもそも「ひょい」などという
日本語はありません。

いや、どこかで何かに
使われている音かもしれませんが
少なくとも辞書にはないです。

ですから書き手の目論みとしては
原稿用紙にして十五枚足らずの
このテキストが終わった時に

読み手の心の中に
ひょいって実は
こういうものなのかな
なんて感触が

もし万が一できあがってしまったら
それはしてやったりというか
むしろガッツポーズものなんですね。

適当な音のひらがなを
五千字くらいかけて
そういうものにしちゃえみたいな

大上段にいってしまうと、
概念の創造みたいなところを
目論んでいたりもしております。


何を意識したかといえば
中島敦の「弓の名人」辺りですかね。

あんなこと絶対ある訳ないのに
読み終わるとまるで
本当のような気になっている。

小説家が嘘つきである
その醍醐味を
自分でも作っておきたかった。


なお、本ページのレイアウトに併せ、
改行の操作、あるいは
字句の微調整は一部施しております。

また、本編では
フォントの色を変えるのは
控えることにしました。

以下、黒のフォントが
創作のテキストでございます。

お気に召しましたら幸甚です。


ではこの先から本編スタートです。



「ひょいの話」

ひょいは山の奥深くに棲んでいた。
鬱蒼と生い茂った雑木林が
人のもたらす何もかもを、
それこそ頑ななまでに
拒んでいるかのような場所だった。

もっとも果たしてこのひょいに
「棲んでいた」という言葉を
使うのが相応しいのかどうかは
疑念を挟む余地があろう。

というのも、ひょいには
姿や形というものが
まるでなかったからである。

ひょいを模っていたのは
いわばただ自他の区別だけだった。

ここまでが自分であり、
その境目より外側の一切は世界である。

ひょいなるものは
そのようにして存在していた。

それでもひょいは
確かにその森にいた。

決してそこに本当に
ある訳ではない両の眼で

陽射しに喜ぶ樹々たちや
忙しなく動く虫や
そのほかの小動物らの姿を眺め、

重さも厚みもない
自身の輪郭に風を受けては、

季節が変わるごとに
涼や温もりや、
あるいは凍えるような
思いまでをも感じ取り、

そしてまた、やはりそこには
存在していない小さな二つの耳で、

小鳥のさえずりや栗鼠どもの
けたたましい鳴き声を楽しみながら
移り行く日々を過ごしていた。

人の通わぬ森は極めて静かだった。
虫や鳥や、
そのほかの雑多な生き物たちが

ささやかな音を立てながら
そちこちで動き回る様が、

夜と昼とを入れ替えて
延々と繰り返されるだけだった。

なるほどそれはそれで至極
興味深くもあったのだが、
それでもあまりの永きに
わたってしまえば、

いつしかひょいも
ただすべてを黙って眺め続けていることに
すっかり飽いた。

同じ態ばかりの日々が
些か恨めしくさえ思えてきた。

ある時ひょいは、
自分にも体が欲しいものだと願った。

本物の目で見る色彩や、
あるいは本物の耳で聞く音は、

ひょっとして今自分が
感じているそれより
ずいぶんと違っているのかもしれない。

そんなふうに考えたからである。

一旦そう決めてしまうと、
ひょいはたちまち
居ても立ってもいられないような心地になった。

そこでひょいは、
その時ちょうど地表に見つけた
一匹の野鼠の形を己に写した。

するとただちにひょいは
薄茶色の野鼠と化して
草むらの奥底に忽然といた。

ひょいには実はそんなこともできたのである。

むしろひょいというのは
元々がそういう存在だった。

ただ彼自身がこの時まで、
自分にそんな力が
備わっているのだということさえ
すっかり忘れてしまっていたのである。

それというのも、森の奥深くに
息を潜めて暮らしていれば、
この能力を使わなければならない局面など
ほとんど皆無だったからである。

とにもかくにもひょいは
今一匹の野鼠だった。

初めての四肢の感触や、
思いのほか強く己の体を地に
繋ぎとめようとする
不思議な力に戸惑いながらも、

ひょいはすぐさま
二本の後ろ足で立ち上がった。
そしてその格好のまま、
空気に向け
鼻をひくつかせてみることをした。

かすかに髭の揺れる感触が
鮮明に頬に伝わって
そこはかとなくこそばゆかった。

なるほど本物の風の匂いなるものは、
体を持たない時に感じていたより
わずかながらに青臭い。

様々な物音も、
以前とは比べものにならぬほど
美しさを増しているようにも思えた。

我知らずひょいは
うっとりとして目を閉じた。

だがその時である。

一羽の鳶が翼で風を切りながら
ひょいを目掛けて
一目散に舞い降りてきた。

慌てて地面を蹴ったけれども間に合わず、
次の瞬間にはひょいはもう
その鳥の鋭い鉤爪に捕らえられ
空高くに浮いていた。

腹や肩口や足の付け根の辺りや、
とにかくあちこちに開いた穴から
次第に血の零れていく気配を感じながら、

さてどうしたものか、と
それでもひょいは考えた。

長年森の様子を
見続けてきたひょいであれば、

こういった禽類どもが
野鼠を餌にしていることなども
十分にわかっていた。

ほどなく一羽と一匹は
森の上空へと差し掛かった。

どうやら鳶の目掛けている先には
小枝を編み上げて作られたらしい
彼らの巣が鎮座していた。

巣の中にはすでに
結構な大きさにまで
育っている雛どもが、

それでも親の気配を察し、
一斉に口を大きく開けて
今かと今かと待ちかまえている。

遠目ながらそんな様子を
ひょいが見て取るや否やのことだった。

器用に首を曲げた親鳥の嘴が
彼の首筋目掛けて迫ってきた。

いけぬ、と思い、
ひょいは慌てて化身を解いた。

途端野鼠の形は霞みのように掻き消えた。

不意に足から消えた重さに戸惑ってか、
鳶は巣には降りずにむしろ
改めて雲の高さにまで舞い上がり、
その場で一旦輪を描くと、
素っ頓狂な声で一声鳴いて
またどこかへ飛び去ってしまった。

一方の雛鳥たちはなおしばし、
未練がましく
口を開け閉めしていたのだけれど、

やがてとうとう諦めたのか、
巣の中央に体を沈めて
それぞれにそっと目を閉じた。

近くの空に漂ったまま
その一連を確かめて、
ひょいはふうと息を吐いた。


――以下次回。