ブログラジオ ♯102 Les Champs-Elisées | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ようやく本来の時代に戻れたなどと、
自分で先週いっておきながら、

今回はまた、70年代にまで遡る。

ダニエル・ビダルという方である。

オー・シャンゼリゼ~ベスト・オブ・ダニエル・ヴィダル/ダニエル・ビダル

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たぶん、僕自身がフランス語で
歌われているトラックを
生まれて初めて耳にしたのは、

おそらくこの方の、
『オー・シャンゼリゼ』の邦題で
巷間広く知られている
この曲だったのではないかと思う。


シャンゼリゼという、
日本語には絶対にない響きと共に、


当時頻繁に耳に入ってきていた
歌謡曲やフォーク・ソングとは
どことなく違っているように思えた

このサビの旋律が、間違いなく
かなり古い時期の
自分の記憶に刻まれている。


まあ、あの頃しょっちゅう流れていた、
確かの入浴剤だったかの、
コマーシャル・フィルムの印象も


多分に混ざり込んでは
いるのだろうと思うのだが。


そういう訳で、僕自身、
シャンソンあるいは
フレンチ・ポップスといえば、


まずはこの曲だろうくらいに、
ついこの前まで
頭からすっかり
思い込んでいたのである。


――ところがどっこい。

ここで取り上げようと思って
今回きちんと調べてみて、
ちょっとどころではなくびっくりした。


このLes Champs Eliséesなる曲、
元々はイギリスの
ソングライター・チームの手になる
イギリスの楽曲なのだそうで。


はい? という感じである。

だからもちろん、原曲の舞台は
シャンゼリゼ通りではちっともなくて、
イギリスはロンドンの、
ワーテルロー通りなのだそう。


うーん、どうやってこの地名が
あのメロディに載ってくるのかさえ、
上手く想像がつかない。


しかも、さらに驚いたのは
この歌そもそもは、

ジェイソン・クラストなる
サイケデリック・ロックの
バンドのために
書かれたものなのだというのである。


正直、この呼称で
まとめられているジャンルには
あまり明るくはない。


ドアーズやグレイトフル・デッドが
まず挙がってくるようだけれど、

ビートルズのREVOLVER(♭24)や
SGT. PEPPERS~(♭4)を


このサイケデリック・ロックの
代表的な作品と
見做す場合もあるようである。


Lucy~ももちろんそうだけれど、
Tomorrow Never Knows辺りの、

あの奇怪な浮遊感が、
ドラッグによる幻覚といった
イメージと重なっているからだという
理由に拠るのだろうと思われる。


ピンクとか紫とかオレンジとか黄緑とかが、
ある種ペイズリー柄みたいな構図で、
うねうねと絡み合っているみたいな感じ。


いや、そういうトリップを
してみたことはもちろんないが。


まあもっともこの
ジェイソン・クラストなるバンドは、
決して同ムーヴメントの一画を
十分に担っていたという訳でもなさそうで、


むしろ鳴かず飛ばずのまま
消えていってしまった模様。


さらには、彼らによる問題の
On Waterloo Streetに至っては、

ほとんどロックという呼称さえ、
あまり似つかわしくないような、
のんびりとした仕上がりだったらしい。


まあ、このヴァージョンについては
僕自身はまだ
聴いてみてはいないのだけれど。


しかも、この曲とほぼ同時期に
キンクスのWaterloo Sunsetなる、
こちらもまた、名曲といっていい
トラックがヒットしていて、

同じWaterlooの地名に由来した
彼らの曲は、ある意味では
その影に隠れた形となり、
ほとんど話題にもならなかった模様。



それでも縁というのは不思議なもので、
この、そんなに作られた訳でも
なかったであろうはずのシングル盤を、


たまたま同時期に英国に滞在していた
ジョー・ダッサンなる
シャンソン歌手が耳にし気に入って入手して、
自分のアルバムで取り上げようと決める。

フランス語の詞をつけ、
舞台を自国に移し変えたのは、
また別の作詞家らしいのだが、


さらに興味深いといおうかなんといおうか、
つくづく不思議だなあ、と思ったのは、


このジョー・ダッサンなるシンガー、
元々はアメリカ人なのだそうである。

だから、この方がどういう理由で、
遥々フランスへと移住し、


さらにはシャンソンを
歌うようになったのかまでは、
さすがに調べがつかなかった。


いずれにせよ、この彼の歌った
Les Champs-Eliséesが、
たちまちに全仏で大ヒットとなり、

ある種のスタンダードの
仲間入りをしてしまう訳である。


いやまあ、たった一曲の背景にも、
ずいぶんとまた
紆余曲折があるものである。



さて、ここに至ってようやく今回の
ピック・アップ・アーティストである
ダニエル・ビダル嬢の登場となる。

そういう訳で僕にとっては、
この『オー・シャンゼリゼ』こそ、
まさにフランスの音楽
みたいな感じだったので、


当然ながらそのシンガーとして
よく名前を聞いていた、


このダニエル自身もまた、
本国でも相当有名な方なのだろうと、
頭からすっかり思い込んでいた。


――ところがどっこい。

この方はどうやらむしろ、
日本での知名度ばかりが
突出しているらしいのである。


当時またたまたまフランスにいた、
日本のレコード会社の人間が、


レコーディング・スタジオかどこかで
彼女の姿に目をとめて、

この娘は絶対、
日本で人気が出るはずだと確信し、
そういうふうに
仕掛けていったのだそうである。


本邦でのダニエルのデビューは69年、
『天使のらくがき』という
シングルをまず、リリースしている。


しかもこれがいきなり、
16万枚を売り上げたのだそうで。

当時の数字で、
しかもフランス語詞の
楽曲だった訳だから、
たぶん相当ものすごい。


それともあるいは、日本語盤を
合わせた数字なのかもしれない。


いや、この人だから、
日本語でも幾つか、
録音を残しているのである。

まあとにかくそういう感じで
彼女は70年代の主に前半の時代に、


年の半分か、時にそれ以上を
日本に滞在して、
プロモーションなどの活動を
することになったのだそうである。


アグネス・ラムみたいなものか。

もちろん、当時はまだ
ビッグ・イン・ジャパンなんて
言葉もなかっただろうから、


出稼ぎアイドルとでも
呼ぶべきなのかもしれない。


本人も、フランスでは誰も
相手にしてくれなかったのに、

日本ではみんながちやほやしてくれて、
私はとても幸せだ、みたいな発言を、
当時の雑誌でしているようでもある。



そんなことを色々知った上で、
この『天使のらくがき』なる
トラックを改めて聴いてみると、


なるほど、どことなく
昭和歌謡っぽい気もしてくる。

それもそのはず、なのかどうか、

こちらの曲は実は、
ロシアの作家の手に
なるものだそうで。


――いや、もう何がなんだか。

むしろ、どこの国の歌でも
訳詞を載せてしまえば、
なんだかそれっぽくなってしまう、


フランス語という言葉の持つ
音の響きのユニークな凄まじさに
感嘆するべきなのかもしれない。



だから、今回の『シャンゼリゼ』にも
この『天使のらくがき』と同様、

本人の歌唱による
日本語ヴァージョンがあったりする。


これが結構流暢だったりするから、
もう、不思議を通り越して感服する。


確かにコンニチワ、辺りの
イントネーションは
ややぎこちなくなる場面もあるが、

フレディの『手をとりあって』よりは、
よほど日本語に聞こえる気がする。


折角なので、
ちょっとだけ引用しておく。


いつも何かすてきなことが
あなたを待つよ、シャンゼリゼ

こんな感じ。

ちなみに訳詞は安井かずみさん。

岩谷時子さんのヴァージョンも
どうやらあるらしいのだけれど、
そこまで確認できなかった。

いずれにせよ、いや本当、
よく覚えたよなあ、と思うくらい
割ときちんと日本語に聞こえてくる。


頑張ったんだろうなあ。


さて、ついでなので、
さらにもう一つだけ、
余計な話をしてしまうと、

あの石野真子さんが
スタ誕の決勝で歌い、


見事デビューを決めたのが、
上で触れたこの方の
『天使のらくがき』だったそうで。


いやまったく、
いろいろな歴史があるものである。

――ああ、そうか。

イギリスで誰か
忘れていると思ったら、
ノーランズだ。


いや、石野真子さんは後年、
彼女たちの
Gotta Pull Myself Togetherなる曲を
カヴァーしているのである。

いや、いずれどこかで
やらないとならないや。


まあ何か考えます。


さて、予定していたのとは
まったく違って、
奇妙にインターナショナルな

テキストになってしまった
今回なのだけれど、


あとこういった
フレンチ・ポップス的なジャンルで
名前を知っているのは


フランソワーズ・アルディと
フランス・ギャルくらい。


このフランソワーズ・アルディは、
『さよならを教えて』の邦題の


Comment Te Dire Adieuという
曲が結構有名なのだけれど、


なんか実は、どうやらこっちも
元々はアメリカの楽曲だったらしい。

いや、フランス語。

まったくもって恐るべしである。

もっとも、少なくともアルディの方は、
本来は、基本自分で
曲を書かれていた方のようである。


では恒例の締めのトリビアは、
この『さよならを教えて』から。


実はあのブロンスキ・ビート/
コミュナーズの
ジミー・ソマーヴィル(♯30)が、


89年に同曲をカヴァーしていたりする。

まあこの方らしく、バリバリの
ディスコ・ビートに
仕上げてきている訳なのだけれど、


それでもそこに、
あのサビの印象的な旋律や、


それからちょっとバタくさい
間奏のラインなんかも

きちんと載せられてきていて、
なかなか楽しめる仕上がりである。



念のためだが、彼はこの曲を
フランス語でカヴァーしている。


いや、英語詞があるんだったら、
わざわざなんで? と
ちょっとだけ思ってしまった次第。


It Hurt to Say Goodbyeというらしい、
いわば原曲の方も、
どこかで聴いてみたいなと思っている。