ブログラジオ ♯83 Twilight | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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あるいは前回のアラン・パーソンズも
たぶん同じ系統に
含まれるべきかとも思うのだけれど、

ここからさらに四回ほど、
基本70年代の人々が続く予定である。


些か乱暴な括り方だが、
プログレの影響下から登場してきて


ポップへとアプローチしていった
バンド群とでもいおうか。

まあそんな感じだと思う。

正直、基本この時代はあまり
詳しい訳では決してないので、
異論は認めるつもりである。



さて、まずはこのELOこと、
エレクトリック・ライト・オーケストラから。

All Over The World: The Very Best Of ELO/Electric Light Orchestra

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70年代のこのELOの活躍には
目を見張るものがあったのだと思う。


当時中坊だった僕でさえ、
名前はちゃんと知っていた。


もっとも、最初に楽曲と
この長いアーティスト名とが

きちんと一致したのは、
お恥ずかしながらXanaduだった。



あの頃は『グリース』なんて
映画も公開されていて、
O.N.ジョンは人気絶頂だったのである。


まあこの曲はよく耳にした。

しかも、当時からずっと、
この人たちは間違いなく、
アメリカのアーティストだろうと
勝手に思い込んでいたりもした。


そもそもが、英米の区別など、
ほぼ考えていなかった時期である。


ちなみに上で触れた
このレコードのゲストである、

オリビア・ニュートン・ジョンは、
オーストラリアの方である。


だから、どっちも全然
アメリカじゃないじゃないかと、
当時の自分に突っ込んで
然るべきところなのだが、


まあ、まだ英語の歌は全部
洋楽だった時代のことなのである。

もちろん個人的に、ということだけれど。


さて、改めてこのELOだが、
これが70年代の音かと思うほど
斬新なことをやっている。


基本この華やかさ、大好物である。

たぶんこのELOと
それからこちらは本当にアメリカ出身の


アース、ウィンド&ファイアーとが、
ほぼ時を同じく台頭してきて、


やはりこの時期のシーンに
一つの新たな地平を
切り拓いたのではなかったか、と

もちろん今になってだから
いえることなのだが、


まあ時にそんなことを考えたりもする。

つまり、この二つのグループの登場を機に、
音楽が一気に華やかになったのではないか。

そんな感じがするのである。


ディスコ・ミュージックと
単純にいいきってしまうと


ELOにもEW&Fに関しても、
ちょっと正確ではない気が
しないでもないのだけれど、

大幅にそちらに寄った
ベクトルを持っていたことは
たぶん断言しても
大丈夫なのではないかと思う。


とりわけEW&Fに限れば、
当時のディスコ・シーンを一手に
牽引していたことは間違いはないし。


だからそれ以前のアメリカ音楽の
主流の一つだったと思われる、

カーペンターズやPPM
あるいはジョン・デンバー辺りの


アーティストたちが
生み出してきた楽曲群とは
確実に手触りが
違っていると思うのである。


そんなふうに思いなおしてみると、
ビージーズのあの衝撃的な転進こそ、

実は極めて象徴的な
出来事だったのかもしれない。



まあ、80年代に比べると
この辺りのシーンに関しての
僕の把握の仕方は
極めて大雑把なので、


誤解や偏見が混じっている可能性は、
なきにしもあらずどころか相当高い。

だから、基本眉に唾つけてというか、
話半分でお読みいただけると幸甚である。



さて、いわれつくされていることだが、
このELOサウンドの大きな特徴は、


ロック・バンドの編成に
ストリングス・セクションを
基本的にパーマネントなものとして
加えたところにあった。

たぶんロックンロールの誕生後、
ポピュラー・ミュージックのシーンに


改めて弦楽を取り込んだ
極めて初期の楽曲群の一つが、
Yesterdayではないかと思うのだが、


いわばそこで切り拓かれた方向性を
極限まで突き詰めていったのが、
このELOサウンドだったのだと思う。

なるほど手触りは華やかである。
でもそれこそ、
Rock‘N’Roll Is Kingなんてタイトルが
彼らの楽曲の中に見つかるように


このELOの目指していたところは
基本的にはロックだったに違いない。


そこにストリングスが加わることで、
過去になかった音楽が生まれてきた。

その斬新さが、人々の支持を
集めたのだろうと思っている。



もっともグループの歴史の終盤には、
機材の進歩とも相俟って、


この弦の音は、ほとんどシンセサイザーで
代用されてしまうように
なってしまいはするのだけれど。


今回のTwilightも活動の後期に近い、
81年の作品なので、
ストリングスのように鳴っているのは
ほぼ鍵盤ではないかと思われる。


イントロとか、電子音バリバリだし。

それでも基本的に、高音を駆使して
トラック全体をきらびやかに
仕上げてくるところは

実にELOらしく
安定しているといっていい。



さてこのELOの中心人物、
名前をジェフ・リンという。


このジェフ・リンもやはり、
前回のアラン・パーソンズと似て、

ビートルズとの関連の中で、
語られる必要のある存在である。


何よりもまず、80年代後半の
あのジョージ・ハリソンの
復活劇を演出したのが
この方だったりするのである。


しかも御本人、ビートルマニアとしても
とても有名なのだそうで、

リンの家には、ビートルズと
バルトークのレコードしかないなんて
逸話もあるのだそう。


そう思って改めて聴いてみると、
このELOの楽曲群、


確かにRUBBER SOUL以前の
初期ビートルズの作品の持つ、
わかりやすい斬新さみたいなものを
絶妙に継承しているような気もする。


ELOの活動時期は
71年に始まり、
一応は86年までということになる。


もっとも84年と86年のアルバムは、
ほとんどジェフ・リンの
ソロ・ワークみたいなものだったらしく、


失速感はやはり否めず
さほど話題になっていた記憶もない。


むしろこの時期から以降、
彼の名前は
プロデューサーとして、
クレジットされる場面が増えていく。


それでもこのELOが
70年代を通じてもっとも多く
アメリカでシングルをTOP40に
送り込んだバンドである事実は動かない。


もっとも、にもかかわらず、TOP1が
一つもないという
めずらしい存在でもあるのだそう。

ちなみに最初の方で
曲名を出したXanaduは、
見事に一位を
獲得こそしてはいるのだが、


これはだから、バンド単独の
シングルという扱いにはならない模様。


ちなみに今回表題にしたTwilightは、
81年のアルバムからの
セカンド・シングルで、

最高位は残念ながら
38位に留まっている。


これだけ丁寧に作りこまれた、
時に軽薄なほどの突き抜けた派手さは
実にこの人たちらしいなと思う。


十年ほど前に我が国で
この曲がドラマ主題歌に起用され、

再び脚光を浴びたのは、
おそらく多くの皆様がご存知の通り。


なかなかいい着眼だったのではないかと
個人的には思っている。



さて、今回のトリビアは、
ほとんど本編の続きみたいなものである。

後年、トラヴェリング・ウィルベリーズなる
覆面バンドが、巷間を騒がせたことがある。


グループの名前そのまんまで
ウィルベリーなる兄弟が、


トラヴェリング・バンドを組んで
活動しているという設定で紹介されていた。

契約の関係上、それぞれが本人の名前で
別なアーティスト活動をすることが
難しかったということだろうと思われる。


それもそのはずで、
実際この五人、
五人とも相当すごい。


ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、
トム・ぺティ。

ここに加えて、ハリソンと、
このリンという面子だったのである。


しかも、1stアルバム発売後、
急死してしまったオービソンの
後任として加入したのが、
デル・シャノンだったりする。



実はジェフ・リンその人が、80年代に、
このオービソンとシャノンのアルバムに
プロデューサーとして起用されている。

だからおそらくは、
リンが参加していたからこそ完成した
ラインナップだったことは間違いがない。


上でも触れたように、リンは87年に、
ハリソンのCLOUD NINEを手がけ
望外の大ヒットに導いている。


ちなみにGot My Mind Set on Youは
ビートルズからソロになった四人の放ったうち、

最後のトップ1ヒットと
いうことになるのだそうで。


そのあとから、さらにこの
トラヴェリング・ウィルベリーズが
登場してくる訳だから、


やはりジェフ・リンには、
ハリソンにもずっと
第一線にいてほしいという思いが
相当強くあったのだろうと思う。


このハリソンとの関係があったが故に、
90年代のあのFree as a Birdに


永年のFABたちのパートナー、
ジョージ・マーティンではなく、


このリンがプロデューサーとして
起用されることになったというのは
たぶん有名な話であろうかと思われる。