クリスマス、浪費さる! 人と会うと寝込む男の巻 | 強化人間331のブログ

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サイボーグである強化人間331の、つれづれ山行記録。
さしておもしろくもないのは、ご愛嬌。

じゃかあしい!

 

ほんとクリスマスだとかいって騒ぐのやめてもらえませんかね。街で浮かれてるやつらのいったいどれだけがイエス・キリストのことを知ってるのかほとほと疑問ですよ。お前らなあ、ナザレ生まれのユダヤ人の誕生日なんかが本当に――いいか、本当にそんなめでたいんか? お前ら自分の家族の誕生日すら知らんのとちがうか? だいたいね(以下略)。

 

①クリスマスを理詰めで批判してみる

 

わたしが宗教嫌いなのはみなさんご承知の通りかと思います(初耳ですって? じゃ、いま覚えろ)。むろんクリスマスはキリストの誕生日ですので、これはもうまがうことなき宗教的なイベントでありましょう。そこでひとつ提案。

 

24、25日を特別な日だとする風潮をやめろ。

 

宗教が世界的な憎しみを生み出しているのは議論の余地はないかと思います。目立つところではイスラム原理主義が無差別テロを敢行してますね。対抗馬としてはユダヤ教。パレスチナ問題というのは突き詰めれば、ユダヤ教の聖地(エルサレム)にあとからきたイスラム教徒がパレスチナと名づけて居座ってるのが問題なわけです。

 

単なる土地の区画整理が宗教が絡むとややこしくなる。なまじ聖地などと呼ばれているため、戦争をふっかけてでも取り戻さねばならぬ場所のように思えてしまう。イスラエル(ユダヤ人国家)がやたらに好戦的なのはそのためです。

 

彼らは紀元前に起きたバビロン捕囚からこちら、民族離散(ディアスポラ)し、以来ずっと流浪の民として単一の国家を持てなかった。イスラエルに強烈な執着を持つのもわからないではないのですが、そんな何千年も前のことを子孫に連綿と継承する執念にはちょっと引きます、正直なところ……。

 

それはそうとご存じの通り、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は源流を同じくする同列の宗教であるのに、なんであんなに仲たがいしてるんでしょうね(ユダヤ教(旧約聖書)→キリスト教(新約聖書)→イスラム教(コーラン)の順で派生)。ほんっとくだらん。実にくだらん。大むかしにご先祖さまがたわむれに書いたラノベをまじめに受け取る頭がパーなやつら。あげくに殺し合ってるんですから世話はないですよ。

 

したがって宗教とはばかげたクズ思想であり、それは日本の仏教や神道も例外じゃありません。八百万の神? ばっかじゃないの。死後、仏さまの思し召しを得るためになんとか居士とかいう名前を墓に彫ってもらうのに何百万の金がかかる? ばっかじゃないの。ね、たったの2例挙げるだけでいかに宗教が不合理で無意味かわかろうというものです。

 

その伝でいけば当然、イエス・キリストが生まれた日だか死んだ日だかが重要なはずはなく、そんなもんは単に忙しい年の瀬の平凡な一日だと結論できます。つまりなにが言いたいのかというと、

 

くたばれリア充ども!

非常にしみったれた話題でしたので、お口直しにスキー場の写真でも。12/30、休みになった翌日さっそくいってきました。ただ膝を傷めてるので本調子とはいきませんでしたが。今シーズン初でしたが早速キッカー(ジャンプ台)に入り、尻から着地して大ダメージ。まあスノーボードとはそうしたスポーツです。

 

②クリスマス浪費指南

 

で、実際のところお前はどうすごしたんだ、というわけですね? わたしのように独り身の長い人間にとって、いかに幸せそうなムードから逃れるかが鍵になるのですが、これは意外と簡単です。

 

①引きこもる

②カップルのいそうにない場所へ出かける

 

①は能動的に動かなくてよいという利点こそあるものの、これをやるとみじめさと孤独さで押しつぶされそうになる。お勧めはしません。例年ですと②、つまり山へ逃げてたのですが、今年はそれすら億劫で。

 

ほんの一週間ほど前、友人がひょっこりアパートを訪ねてきまして、彼とは実に3年ぶりくらいに会ったのでした。結婚していまや2児の父、毎日育児と仕事に忙殺されてろくすっぽ外出もかなわんということで、その日は子どもが首尾よく寝たのを見届けたすえ、わずかな隙を突いたらしい。

 

平日の夜、コーヒー片手に2時間ばかり旧交を温めたわけですが、彼が帰ったあとにしんと静まり返ったアパートへ戻ったそのとき、わたしはいかに自分が孤独な日々をすごしてきたかをまざまざと思い知らされたのでした。

 

それを悟ったのと久しぶりに気の置けない友人と会話したというコンボがどうやらわたしをノックアウトしたらしく、翌日から非常に鬱屈した気分になり、その余波はクリスマスイヴにまでおよんでしまいました。例年倦まずたゆまず続けてきたイヴのソロ登山も敢行せぬまま、ジムでひたすら走っておしまい。近年まれに見る保守的でおもしろみのないクリスマスになってしまった。ああ……。

 

似たようなことがちょっと前にもあって、12月の頭に友人M岡のアパートで忘年会をやったんですな。やつは生意気にも同棲してまして、かわいい婚約者がいる。そこへドタキャン王ことS水、それに警察官であるA部ちゃんの三人で押しかけて鍋パーティをやったと。

 

毎度このメンバーが集まるとほうぼうから下ネタが飛び交ってそれはもうひどいありさまになるのですが、むろんこのときも例外じゃなく、32歳の男どもは完全に幼児退行、いっとき中学校の教室みたいなあんばいにさま変わりしたのでした。

 

18時ごろから始まった忘年会は衰えを見せることなく続き、呆れたことに25時すぎまで浮かれ騒いでしまった。久しぶりに充実した休日だったわい、と帰路についたまではよかった。ところが翌日の日曜日、わたしぐったりと寝込んでまる1日を浪費しましたからね。

 

酒は一滴も飲んでないので二日酔いじゃない。そう、これは3か月ぶりくらいに赤の他人と長時間いたことによる人間関係の疲れだったのです! これは心胆を寒からしめる事実ですよ。あまりにも社会的な生活から隔絶していたため、いつの間にやら長い付き合いの友だちと話すことすら多大なエネルギーを消費するようになってしまっていたのです。信じられますか?

なんとも冴えない話題が連続して申しわけない。実家の飼い猫ゲンちゃんの写真を張るのでそれで勘弁してやってください。彼も13歳。その割にまるまると太って元気そうでした。かわええ。

 

まあそんなわけでひどいクリスマスでした。3時間近くジムで粘っただけあって、体重は54キロ台のモテスリムを維持。緑黄色野菜を積極的に摂取することでミネラルとビタミンを継続的に摂り、おかげでニキビひとつない若々しいお肌です。イケメンであることはいまさら文字に起こすまでもないでしょう。ところが今年も見事に余ったままでした。ここらで声を大にして言わねばならないでしょう。

 

女性のみなさん、諸君らはまったく損をしている!

 

どのような損かって? 決まってるでしょう、希代の超人――文武両道、爽やかイケメン、海運業界期待の新星、将来的に日本SFを背負って立つ男、その他いろいろ――をほっぽって、しょうもないヒョロガキどもにうつつを抜かしているからですよ!

ちゃんと価値のある人間は相応の評価をされなくちゃあかんと思うのですよ。それは断じて――よろしいか、断じてTDLやらUSJやらに詳しいとか、おしゃれな(=鼻につく)バーに通ってしょうもない微生物の分解生成物(アルコールね)に詳しいとか、うまいイタ飯の店に詳しいとか、そういう見せかけだけのかっこつけしいどもでは絶対にない!

西洋の個人主義が輸入されて久しい昨今、ああした思想は大切な部分、たとえば個性豊かな人格形成とか、周りに流されないユニークな人間とか、社会にとってプラスになる人材の育成にはことごとく失敗するいっぽう(街を見てごらんなさい、上述のようなTDL大好き人間どもが画一的な娯楽に踊らされたゾンビみたいにうようよしてますよ)、個人主義を完全にはきちがえたわがままなやつらを粗製濫造し、着実に日本をむしばんでいる。

電車内ではつんぼじゃねえのかと疑いたくなるような音漏れ野郎がいるし、パーソナルスペースの確保を目いっぱいやらかして周りの人間を圧迫するたわけがいるといったありさま。電車内の様相を観察するだけでも「俺/あたしさえよけりゃいい」という輩が多すぎる! それは個人主義じゃなくて、単なる社会的害悪にすぎん。これをはきちがえてるやつのなんと多いことか!

 

ではそろそろ本題に戻りましょう。以上のことを踏まえますと、魅力的な男性というのは要するに、

 

クリスマスを寝込んで浪費する男

 

という結論になります。以上、証明終わり。Q.E.D.

なんぼ末広がりになって収拾つかんからって、こんな落ちはないやろ強化人間はん……

たまには自撮りでも。スキー場にてあんまりイケメンだったので撮らずにはいられませんでした(冗談ですので真に受けないように)。こうして意識的に自分の写真を残しておかないと、結婚式のときとかに大慌てしなくちゃならなくなりますからね。え? そんな予定があるのかって? ちょっと黙れませんかね!

 

③SFなど

 

最後に恒例の(誰も興味がないであろう)話題を。最近の記事ではあまり触れてきませんでしたが、もちろん相変わらず宝物庫(鶴舞図書館のことね)から絶版で入手困難なSF小説をくすね続けております。では早速いってみましょう。

 

◎モデル・ワールド マイケル・シェイボン 訳 岸本 佐知子

 

いきなりでなんですか、SFじゃありません。ではなぜ読んだのかというと、この作家は「ユダヤ警官同盟」という改変SFでヒューゴー、ネビュラのダブルクラウンを達成しており、それのよしみでべつのやつも読んでみようと思ったのでした(ちなみに「ユダヤ警官同盟」自体はごたごたしててわたしには合わなかった。ただ文章力は相当のものです)。

 

本書は短編集であり、第一部にはバラエティに富んだお話が何篇か収められており、第二部はある家族の描像を連作短編のかたちでつづってますね。第一部の作品群もぼちぼちいいのはあったんですけど、第二部のほうはまあすごい。訳者あとがきにも「ことに第二部はシェイボンの筆が怖いくらいに冴えわたっている」とありました。

 

シェイボンは純文学系の作家であり、「ユダヤ警官同盟」と「ピッツバーグの秘密の夏」の二冊でなんとなく合わないかな、と思っていた矢先、本書で持ち直したかっこうです。驚くべきはこの作品群をものしたとき、彼28歳ですからね。その若さで第二部のような迫真の筆致を描き出せるというのはもう、恐るべき感受性というほかない。興味のある向きはぜひどうぞ。超絶イケメンであるシェイボンのポートレートも巻末に載ってますよ。

 

◎ロシュワールド ロバート・L・フォワード 訳 山高 昭

 

アメリカSFを陰で支えていた功労者、フォワード博士の第二作め。ハードSFと呼ばれる分野がありまして、これはSFのなかでも科学的に筋の通った物語群のことです。ある意味でもっともSFらしいSFと言えましょう。一般文芸の作家は登場人物の心情とかストーリーラインだけを考えてればよいのですが、SF作家はそれに加えて膨大な科学理論をカバーしなきゃならんわけです。

 

正直それはしんどい。その方面の専門家にアドバイスしてもらえれば非常に助かる。そうした縁の下の力持ちがフォワード博士だったのですね。ラリィ・ニーヴンや「あの」クラークも彼に足を向けて寝られないほど頼っていたそうです。ですからフォワードの小説は小説というよりもほぼ科学論文に近く、ロシュワールドもその側面が強い。

 

したがってお話自体はまあ、そんなにおもしろいもんじゃない。異星人はかわいかったけれども。わたしが感銘を受けたのは、何光年も離れたバーナード星へいかに経済的かつ安全に宇宙船を動かすかという理論的側面でした。コヒーレントな大出力レーザーを使って光圧で宇宙船を押し出す。そこまではよくあるアイデアですが、彼は減速もユニットの切り離しで一挙に解決してしまったのです。これはすごい。

 

巻末に詳しい説明があるので、先にこっちを呼んだほうがわかりやすいかもしれません。もちろん表題のロシュワールド(惑星同士の軌道が接近しすぎているため、双子のようにくっついてしまった連星)の圧倒的なスケール感も見逃せません。第一作めの「竜の卵」もすごいですよ。例によって本編はぼちぼちですが、巻末の技術的な注がとにかくおもしろい。さすが重力理論の専門家、バックボーンがちがいます。

 

◎パヴァーヌ キース・ロバーツ 訳 越智 道雄

 

最後はこれ。16世紀のエリザベス一世だかの判断が現実とは異なり、スペインの無敵艦隊にイギリス海軍がボロ負けし、その余波で教会が権力を握りっぱなしになり、産業革命も起きず……といった「もうひとつの世界」を描く改変歴史SFですね。

 

まずご安心ください、そのへんのイギリス史に詳しくなくてもぜんぜん大丈夫。だってわたしがちゃんと読めたんですもの。世界史なんてこれっぽっちも明るくない無学なわたしがね。だから尻込みしなくてもOK。そこが似たような世界を描いたウィリアム・ギブスン「ディファレンス・エンジン」との大きなちがいです。こっちはあかん。ただ長いばっかりで苦痛でした。スチーム・パンクとかいうジャンルらしいですけど、こればっかりは肌に合わないようです。

 

さて本書は1968年から始まりますが、前述のように産業革命が起きていないのでローテクが健在、路上を機関車が走ってたり、電磁波通信の代わりに信号塔(一定間隔で建造された塔の上部に可動部を設け、これの動かしかたでメッセージを次々と伝えていく)があったり、教会が権勢をふるって異端審問がはびこっていたりと、ずいぶん現代とは趣を異にしたイギリスが描かれてますね。

 

二段組みで320ページ、正直かなりの大長編だし、ぎっしりと文字が詰まっていて面食らうかもしれませんが、とにかく文章力には圧倒されざるをえません。翻訳ものは正直なところ、純国産には文章でかなわない部分があるのですが、ロバーツの力量と越智さんのタッグがシナジーを形成し、みずみずしい筆致を実現してます。

 

これほど活き活きとイメージが湧いてくる小説もめずらしい。構成も六部となっており、飽きる前にがらりと視点が変わるので牽引力もあります。どうも過去に読んでたようなのですが、すっかり忘れたまま再読し、その魅力にがつんとやられたのでした。これは一読だけですますのはもったいない。げんにわたし、再読してやっとその価値に気づいたようですからね。

 

なにはともあれイギリスの田園風景を流れるような文章力で描き切り、暗くなりがちなストーリーなのに不思議と優しい。改変SFの記念碑的名著といえましょう。長らく絶版でしたが最近扶桑社から再版されましたので、比較的容易に入手できるようです。図書館にもあるでしょうから、この正月にでも読んでみてはいかがでしょうか。こういう作品に出会うたび、わたしはSFファンをやっててよかったと改めて確信するのでした。SFばんざい!

 

おわり