実録から抽出した謁見などのデータをもとに昭和天皇像を分析した「データでみる実録」の戦中編。
日本は米国との戦争を回避すべく外交交渉を続けたが行き詰まり、昭和16年に開戦に至る。15年8月以降の5年間、木戸幸一内大臣の「謁見」は約1千回を数え、側近の中でも突出している。「(木戸から)大東亜戦争の今後の見通しにつき御聴取」などの記述も見られ、昭和天皇が、政界や軍部の内情にも通じた木戸を相談相手とし、激動の時代を乗り切ろうとしたことを裏付けている。
開戦時の杉山元参謀総長や永野修身軍令部総長との面会は、陸相を兼務した東条英機首相よりも多い。杉山ら統帥部幹部との面会では戦局や作戦だけでなく、占領地域で日本軍が発行した軍票の流通問題など細かな問題について言及。この時期、昭和天皇は39~44歳で、立憲君主として円熟しつつあった側面が浮かび上がる。
軍人でも内閣の一員だった嶋田繁太郎海相らは統帥部幹部に比べ面会が大幅に少なかった。近衛文麿首相や重光葵外相ら文官に至ってはさらに頻度が少ない傾向も明らかになった。
(賜謁とお召しは面会〈謁見〉の意味。お召しは天皇が特に呼びつけたもの)