【書評】『私の中の山岡荘八 思い出の伯父・荘八 ひとつの山岡荘八論』 | 毎日のニュース

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〈天下国家の有り様〉色濃く

 山岡荘八は大衆作家の範疇(はんちゅう)に収まる人間ではない。本書で著者(荘八の甥(おい))が語っているが「常に世間と戦っている一本気な大和民族の末裔(まつえい)なる意識が強い」古武士の風格を備えていることでも解(わか)る。

 「あとがき」において、村上元三は、如何(いか)に生きるべきかを突き詰めていったのだろう-と。本書の副題に「思い出」とあるが、当然ながら此(こ)の〈思い出〉は大衆作家の日常にあらず。思想家であり世直し警世家の怒りが、時としてマグマの如く爆発する。怒る獅子を横目で眺めつつ、著者には偉大なる日本人に思えるのである。

 文士劇で阿南陸相を演じれば嗚咽(おえつ)する。芝居の役に成り切る伯父の姿を見て著者は頷(うなず)く。岸内閣のとき、安保反対闘争は凄(すさ)まじい勢いでわが国をのみ込んでいった。進歩的文化人の偽装された正義感を憎悪していた荘八は、村上元三の安保擁護を支持していた。其(そ)れと『小説岸信介』を書いたほどに、人間岸信介の手腕を評価していた。また安保反対の旗振り人間・浅沼稲次郎の人情に脆(もろ)い一面に同情を寄せてもいた。当然ながら、佐藤栄作や田中角栄との付き合いがある。美濃部都知事を毛嫌いしていたので、川端康成や川内康範たちと秦野章を応援していた。三島由紀夫が自決した後、「追悼の夕べ」の発起人をも引き受けた。日本の明日に思いを抱く〈恋闕(れんけつ)〉の成す情愛の人であったのだ。