「これは、とんでもないことが起きているな…」
昭和39年6月16日。当時新潟大の4年生だった家坂博幸さん(73)は、新潟市北部にあった同大キャンパスから、海沿いに約10キロ離れた自宅に向かう途中、目前の異様な光景を見て、こうつぶやいたという。
乾いた部分と水浸しの部分がまだらになった道路は、至る所で砂が敷石が持ち上げられ、建物は地面に沈みながら傾いていた。後日、完成間もない昭和大橋が落ちたと聞いた。「当時は何でこんなことが起きているのか分からなかった」と振り返る。
噴出する砂や水、埋もれて傾く建物、壊れた橋…。それはすべて「液状化現象」によるものだった。
「液状化現象は新潟地震をきっかけに研究が本格的に始められた」。新潟大の卜部(うらべ)厚志准教授(地質学)はこう説明する。
新潟市は、市中心部を流れ、氾濫を繰り返した信濃川が運んできた砂などで形成され、もともと液状化が起こりやすい土地。しかし当時は液状化を防ぐ技術はなく、市内では地震後、液状化対策を行わずに建て替えや整備が行われた。
液状化対策の工法が確立したのは「早く見積もっても約20年前」(卜部准教授)。対策は後手に回っており、卜部准教授は「前回液状化した場所は再び被害を受ける可能性が高い」と指摘する。
現在は行政も対策を急ピッチで進めるが、一般住宅については対策工事費用が数百万円に上ることから、多くが未対策。新潟市は「街全体の地盤を改良することは現実的に不可能」としており、発災後に警察や消防、病院などの拠点をつなぐ道路を早期に復旧できるよう整備する方針だ。