未完の傑作、その顛末が明らかに
1975年にアレハンドロ・ホドロフスキー監督が製作を企画したが、撮影開始前に頓挫したSF大作について、ホドロフスキー監督や関係者が証言したドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE(デューン)」が14日から、東京・新宿の新宿シネマカリテほかで全国順次公開される。昨年の東京国際映画祭で絶賛を浴びた作品だ。
ホドロフスキー監督はチリ出身で、伝説のカルトムービー「エル・トポ」で知られる。ジョン・レノンがこの作品にほれ込んで配給権を買ったエピソードは有名だ。46歳のときにSF大作「DUNE」の撮影を企画し、90ものシーンを描いた絵コンテを作成した。出演者には芸術家のサルバドール・ダリやミック・ジャガーを起用し、音楽はプログレッシブ・ロックのピンク・フロイドに依頼する計画だったが、映画会社の理解が得られなかった。
今回のドキュメンタリー映画を製作したフランク・パビッチ監督は「僕自身、ホドロフスキーの大ファンなんだ。出演を依頼する電子メールを彼に送ったら、『話をするよ。パリにおいで』という返事があったんだ」と振り返る。
ホドロフスキー監督は、カメラの前で当時を回想する。「彼は本当にすばらしいストーリーテラー。臨場感たっぷりに語れる。撮影は刺激に満ちたものだったよ」とパビッチ監督。
「DUNE」の絵コンテやデザイン画はハリウッドの映画会社に残された。そして、絵コンテに描かれたアイデアは、後の「スター・ウォーズ」(77年)や「エイリアン」(79年)などの作品に多大な影響を与えたとされている。
作品中でホドロフスキー監督は叫ぶ。「あの作品のためなら死んでもいい」。その表情には映画への情熱がほとばしっている。(櫛田寿宏)