日中は静かな道場だが、人々が仕事を終える夕方になると活気を帯びてくる。夜遅くまで響く三味線の音色、踊りの形や立ち位置などを確認する踊り手たち。その中心に、父はいた。
タレントの早坂好恵さん(38)の父、平田行正さんは沖縄の古典芸能、琉球舞踊の家元だった。自宅の1階にある道場のほかに数十カ所の稽古場を持つ指導者であるとともに、国指定重要無形文化財「組踊(くみおどり)」保持者として国内外での舞台に出演していた。
「忙しくて、あまり家にはいませんでした。厳しい仕事人だったと思いますが、いつもほほ笑んでいる穏やかな父でした」
琉球舞踊は琉球王朝時代、国王が中国皇帝の遣いである冊封使(さっぽうし)をもてなすため、発展した伝統芸能だ。早坂さんは3歳で行正さんに師事して琉球舞踊を始め、週に4日は稽古場に行っていた。
歌舞伎のように琉球舞踊と音楽、せりふが融合した「組踊」の舞台にも子役として出演し、父から直接、指導を受けていた。舞台の直前になると、連日のように午前5時半、自宅1階の道場で稽古が始まる。学校から帰るとまた稽古。だが、あるとき、早坂さんは寝坊した。小学1年生のときだ。
「自分でやると言ったんじゃないのか。できないなら引き受けるな」。普段はめったに怒らない行正さんが、小道具の長刀を手にして声を荒らげた。「本当に怖かった」。ひたすら謝り、ようやく稽古をつけてもらえたという。