あふれる涙を拭っても、悲しみと後悔は消えない。お年寄りの避難を助け、津波にのまれた福島県いわき市の高校2年、工藤盛人(もりと)さん=当時(17)=の両親は11日、同市豊間地区の追悼式で花を手向けた。
子供の頃は体が弱かった盛人さん。父の功(いさお)さん(54)は小学生の息子が台風で打ち寄せる大波を見て「津波が来たらどうするの?」と尋ねられた場面を忘れられない。「ここは来ないから心配いらね」と答えたことを、今もずっと後悔している。
震災後、がれきの中から出てきた小学2年時の文集には「自分の家のことまもります」と書いてあった。
「家が大好きだったんです。高校卒業後の進路も、自宅から通えるところがいいと話していました」
母の弥生(やよい)さん(50)が目元を拭う。ボランティアが見つけてくれたり、友人たちが持ってきてくれたりした写真で新たに作ったアルバムを繰りながら、功さんが絞り出した。
「盛人…おろかな親で、ごめん」
震災後に引っ越した今の家からは、海は見えない。
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あの日、入試時期で高校が休みだった盛人さんを置いて、両親はそれぞれ仕事に出た。弥生さんはその日に限って、息子の昼食にてんこ盛りのチャーハンを作った。上機嫌の盛人さんが弥生さんに言った。
「お昼が楽しみ」。それが最後の会話となった。
激しい揺れの後、弥生さんは自宅に戻ろうとすると、みぞれが降り始めた。漫然と「息子はいないかもしれない」と思った。
トンネルを抜け、飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。海も道路もがれきだらけ。盛人さんを捜し回ったが、見つからない。急ごしらえの遺体安置所で、物言わぬわが子と対面したのは翌日だった。元気な17歳に育ったのに…。