【忘れない~東日本大震災3年】「父は防災庁舎で避難呼び掛け殉職した」 宮城県南三陸町 | 毎日のニュース

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 宮城県南三陸町の高台にある総合体育館には小雪の中、喪服の列が続いていた。町主催の追悼式で、看護師の阿部慶佑さん(26)は死亡・行方不明者836人の遺族代表として追悼の辞を述べた。

 「いつも家族のために、最後は町の人のために働いていた父さんを私は心から尊敬している。一歩ずつでもあなたに近づけるよう努力することを約束します」

 町の危機管理課長だった父、慶一さん=当時(54)=は、町職員ら43人が犠牲となった防災対策庁舎で殉職した。防災行政無線で避難を呼びかけ続けた遠藤未希(みき)さん=同(24)=らの直属の上司だった。

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 昭和35年のチリ地震津波を教訓に、慶一さんは地区ごとに自主防災組織を作るための補助制度や、防災無線のデジタル化など防災対策の最前線に立ってきた。

 妻の代子(しろこ)さん(58)は「温厚な人で、2人の息子の教育も熱心だった」と振り返る。地域で少年野球や剣道を教え、慶佑さんは「剣道の指導では父さんがピカイチだった」。同僚らとは仕事帰り、居酒屋で日本酒の杯を手に、にこにこした顔で話に興じた。

 一方で、家族には「災害が起きたら最後の最後まで責任がある。朝、出かけたら二度と帰れないかもしれない。覚悟していてください」と話していたという。