あの日からサッカーどころではなくなった。J3元年に参戦しているグルージャ盛岡の高橋理専務は「盛岡市は沿岸部のように津波に襲われたわけではなく、チームは活動することができた。でも、それどころではなかった」と振り返る。
クラブは被災地支援に動いた。3月中には津波で大きな被害を受けた岩手県宮古市などに選手らを派遣してがれき撤去作業に加わり、盛岡市内では義援金を募った。ただ、ピッチの成績は正直だ。サッカーに集中できなかったこの年、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を目指して戦っていた東北社会人リーグの連覇は4で止まり、翌年も優勝を逃した。
クラブがよみがえったのは、ようやく地域が落ち着きを取り戻してきた13年になってから。復興に向けて歩みを進める岩手県とともにだった。その年は東北リーグ王者に返り咲き、全国地域リーグ決勝大会でも初優勝。J3発足の好機をつかみ、JFLを経ない“飛び級”の形で、岩手県初のJクラブに生まれ変わった。
地域リーグからJ3に参戦する唯一のクラブには苦労も多い。有料試合開催が初めてならば全国規模の遠征も初めて。高橋専務は「すべてが初めての経験で、スタッフを4、5人から倍増させてもてんてこ舞い。スポンサー集めやチケット販売も思い通りにはいかない」と頭を抱えるが、「地域に愛されるクラブになって乗り越えたい」と表情に暗さはない。