3年がたった。
何年たとうと、3・11が「鎮魂の日」であることは変わらない。3年前、東日本を襲った大地震と大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える。改めてこの日に、犠牲者の霊を慰め、遺族の悲しみを思いやりたい。
≪鎮魂と「備え」に思いを≫
同時に3・11は、記憶を引き継ぎ、次なる大地震、大津波への備えを再確認する日でもある。
地震列島である日本では、いつどこを大地震が襲っても不思議ではない。都市や住宅の耐震化を急ぎ、避難路の確認や常備品の確保など、家庭、職場、学校などの日常における「備え」が被害の大小を分けることは、3・11がもたらした重く貴重な教訓だ。
いまなお、約27万人が避難生活を余儀なくされている。「風化」などという言葉がどれほど実態とかけ離れているか、被災地を訪れれば思い知るだろう。
例えば震災直後、被災現場のあまりの広大さに足がすくんだ岩手県陸前高田市では、いまも同じ広さのまま、重機やトラックが行き交う工事現場と化している。復興は緒についたばかりであると、いやでも実感する。
原発事故の影響を受けた福島県の被災地の多くは、その緒にすらつけていない。
それでも3年がたった。無理強いをしてはいけない。だが前を向ける人は、前を向いてほしい。