ゴーストライターに作曲させていたことが発覚した佐村河内(さむらごうち)守氏(50)を26年前にロック歌手としてデビューさせようとした作曲家、大倉百人(もんど)氏(65)が10日、サンケイスポーツの取材に応じた。当時、24歳の佐村河内氏は都内でレコード関係者を集めたライブを開いて“第2の矢沢永吉”と話題を呼んだが、大倉氏は「すぐ嘘をついていた」と述懐。今回の騒動も「彼なら腑に落ちる」と言い切った。(サンケイスポーツ)
20代の佐村河内氏を知る大倉氏。ゴーストライター問題についてこの日、サンケイスポーツの電話取材に開口一番、「なるほど、彼なら腑に落ちる、と思いました」と切り出した。
大倉氏は1988年2月、知人の紹介で出会った佐村河内氏からデモテープを受け取った。30歳で左耳、35歳で右耳が不自由になったとされる同氏は24歳だった。
大倉氏は新沼謙治(57)の代表曲「津軽恋女」などのヒット曲を手がけ、当時の佐村河内氏を「声はいいものがあった」と評価。同年5月30日にレコード会社9社を集め、デビューへ向けた公開ライブを行った。
その後2、3社が契約を持ちかけたが、「直後に弟さんが亡くなったり、彼自身の“問題”もあり、(オファーを)詰めることなくやめました」と振り返る。この“問題”こそが虚言癖とし「すぐ嘘をついていた。このまま彼に関わっていくと、こっちがヤバくなると感じた」と打ち明けた。