■「耳のいい」「見巧者」の随筆
言うまでもないことだが…昭和10年生まれの著者は、TBS社員時代、『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎(りんご)たち』など多くの秀作の演出を手がけた人。同年生まれで同期の演出家に久世光彦(くぜ・てるひこ)さんがいた。お二人とも文筆の世界でも定評ある人で、この世代が第一線に出ていた頃のTBSのふところの深さとか充実ぶりに、改めて感心せずにはいられない。
本書は鴨下さんが週刊誌『サンデー毎日』に寄稿していたエッセーの中から61編を選んで1冊にまとめたもの。言葉づかい、暮らしの中の風習、視覚偏重の“現代的感覚”などに対する違和感をつづった前半部分も刺激的で、何度も「そう言われればそうだ」とうなずかされたが、やっぱり著者ならではの発見に満ちているのは、後半部分、映画や浪曲や演歌など芸能について詳述したところではないだろうか。
天下の二枚目だが大根役者と言われていた上原謙の中に「巧(うま)くはないが名演技」「多彩で微妙な人間性の面白さ」を見いだし、何かと小津安二郎の陰に隠れてしまいがちな成瀬巳喜雄監督の映画-とりわけ『浮雲』を「成瀬のあの複雑微妙な作風の最高峰」と絶賛し、世の中からたばこが駆逐されてゆく中で、たばこを使った名シーンが生まれにくくなったと具体的に事細かに実例をあげながら嘆いている。