フィリピン中部のレイテ島は、日本人にとって忘れ得ぬ島である。先の大戦末期に近い昭和19年10月、米軍が上陸を始めた。日本軍がフィリピンを死守するため造った飛行場を奪い、逆にフィリピン全土を制圧する足がかりにするためだった。
▼日本軍も8万余りの守備隊を送り込み、山岳部に立てこもるなどして徹底的に戦った。だが兵員も装備も圧倒的に優位な米軍の前に、守備隊長の牧野四郎中将以下、ほぼ全員が戦死した。あの戦争でも有数の激戦地となった。多くの遺骨はまだ、この地に眠ったままである。
▼その壮絶な歴史を刻むレイテ島を今度は米軍ならぬ強烈な台風30号が襲った。中心都市のタクロバンは高潮によりほぼ水没してしまった。風速90メートルという竜巻並みの風も吹いたらしい。通信網がズタズタで詳細は分からないが、死者は1万人を超すとの情報もある。
▼通常11月生まれの台風はあまり強くならないとされる。海水温が夏ほど高くないからだ。だがフィリピンを襲った30号は中心気圧が一時、900ヘクトパスカルを下回るほど、異常発達していた。文字通り「想定外」の台風で、このことが被害を甚大にしたことは間違いない。
▼牧野中将の子息で『戦跡に祈る』などの著書がある牧野弘道さん(78)は、これまで十数回も慰霊のためレイテ島を訪れている。それだけに、テレビに映し出される惨状に「ひどいものです」と息をのんだ。あまりの被害で、レイテが遠くなることも気になるようだ。
▼レイテ島ばかりでなく日本とフィリピンとの歴史的つながりは強い。中国に領土を脅かされているという共通項もある。日本は一刻も早く、支援の手を差し伸べねばなるまい。あの戦争で日本人が必死に戦ったことを忘れないためにも。