■“この日”を迎えるまで、日本人はどれだけの風雪を越えてきたことか-。
49年前の1964(昭和39)年10月10日は、東京五輪開会式が行われた日だ。日本中が見つめた入場行進。その日本選手団の姿に、自らの戦争体験や平和への思いを重ね合わせ万感の思いでつづった、一人の記者の記事が翌日スポーツ紙1面を飾り、読者に静かな共感を呼んだ。筆者は北川貞二郎さん(90)=千葉県八千代市在住。2020年東京五輪開催が決まったこの秋、「もう一度、東京オリンピックの開会式を見てみたい」と7年後を待ち望んでいる。(正木利和)
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滋賀県出身の北川さんは早稲田大学に進みボート部で活躍。早大クルーの一員として1943(昭和18)年の日本選手権に優勝、五輪出場も確実とみられていた。だが翌年のロンドン五輪は戦争で中止。
さらに出征し、45(昭和20)年5月、中国で乗り込んだ輸送列車が爆発、左耳の聴力を失って復員。新聞記者になった。
産経新聞で書いた「熱戦一番」という相撲記事が評判となり、頭角を現した。そして東京五輪の開会式。当時サンケイスポーツの運動部長だった北川さんが1面に記事を書いた。43(昭和18)年秋、明治神宮外苑競技場(現国立競技場)で行われた出陣学徒壮行会で行進し、出征して大陸で負った傷をかかえた筆者が、21年を経て同じ場所で行われた五輪開会式で歩く若者たちをうらやましく見守るという内容だ。