睡蓮と内面の変化
日本でのモネ人気を、知識がなくてもわかる絵だからだと思っていました。西洋絵画は、もとは神話・宗教画がメインで製作されていたわけで、「ゲッセマネ」だとか「ノリメタンゲレ」だとか言われても正直ぴんとこない。日本人は、クリスマスやお盆や節句など宗教を跨いだ寛容な価値観を生まれながらにもっているので、キリスト云々言われても心に響かない。
だから、モネの描くような宗教をベースに持たない風景やぼんやりとした人の姿は、わかりやすい。でも、人気があるのは、それだけではないのだと思うようになりました。
この1ヶ月で、睡蓮が生みだされたジヴェルニーのモネの家を訪れ、
ハワイのホノルル美術館、
上野の国立西洋美術館で睡蓮を眺めたら新しい感覚がうまれました。
モネの絵に引きずり込まれるように、自分自身がすっぽりとモネの世界に入り込む感覚になったのです。その世界は攻撃性やとげとげしさはなくて、いつも穏やか。だから、こんなにたくさんの人に愛され続けるのだろうと。
実際のジヴェルニーの庭よりもモネの絵の方が明るい。あちこちに様々な種類の花がちょこちょこと咲いていて、色彩図鑑のように身のまわりにヒントを見いだしていたのでしょう。
これまで私は、写真のなかった頃に世の中で起こった事件を生々しく描き真実を伝えたドラクロワや、人間らしさをえぐりだすかのように男性優位の社会を描いたドガに魅了されてきました。それは、常に問題意識をもって世の中を眺めたいという生意気な大学時代であり、人の感情に興味のあった頃のこと。
その後、興味はマティスに移りました。つかみどころのないマティスの色彩は、追いかけても追いかけてもたどり着けないような境地。いまだにわかりませんが、天才的な感覚を持ち、そういう類稀なる才能に憧れているのだと思います。そして最近はモネに夢中です。これまで興味のあった画家と違うのは、どっぷりと絵の中の世界に自分が入り込めるから。それも光に満ちた世界だから、気を抜いて自然に無心になれるのです。
これまでの私は、世の中を的確にしっかりと、時には厳しく眺めていたけれど、今はもっと気を抜いて鮮やかな色彩や穏やかな世界に共鳴しているようです。どのように興味が変化していったのかを思い返す作業は、同時に自分の内的な変化の歴史を辿ることでもあるので、楽しい!