フランスで今思うこと
だれも自分の行動に干渉してこないし、それぞれが好きなことをしているので、自由でいられる。
ガロローマン劇場は毎年何度も訪れるお気に入りの場所。
いつもは客席側に座り、舞台を見下ろしながら、古代ローマ時代にはどんな風に使われていたのかしらと遠い過去に思いを馳せていた。この写真を見ていて気がついたのだけれど、今年は舞台側に座り、客席を見上げていた。そして過去に思いを馳せるのではなく、客席にいる人たちのグループをそれぞれに眺め、冷静に客観的に今の状況を観察していた。これまでの自分と視点が変わっていた。30歳を目前に、精神的な大きな変化を感じる。
今回はどこに行っても、細部が気になった。以前は大きな枠組みに圧倒され、鼓舞され、だったのだけれども、どうして自分は圧倒されているのか、それを細部に渡って丁寧に眺めてゆくような感じ。
フルヴィエール大聖堂では、自分の心のままに生きることが神の意に沿うこと(いかなる宗教にも属していないけど、人間を見守ってくれるような高次元の存在はいると思います)だなと閃きました。
訪れる度に、眠気と激しい圧が頭を覆い被さるような感じで、座り込んでしまうとすぐに瞑想状態に入るような神聖な環境。第五チャクラがつまっているような感覚、それからそこが開放され体中の細胞が活性化されていくような不思議な感覚を味わったな。
日本に戻る直前に、訪れたときには、この聖堂へのトラムが長蛇の列で、違う方法で行ったのです。途中より道などしながら。そうしてようやく聖堂についたら、中から人が出されて聖堂の扉が閉められてしまって。どうしたことかと思ったら、テロの警戒で15分ほど中のチェックをしますとのこと。最終日だしと、扉が開くのをまっていて、やっと中に入れると、横を見たら音信不通だった友人が!(そもそもお互いに連作先は知らなかったし、リヨンの郊外に住んでいるし、ここで会うなんてありえない)
2年前に一緒にスイスを訪れたっきり、私たちの共通の友人と彼女はもう一緒にいないので、永遠に会えることもないんだろうな、とアヌシー行きの電車の中で思っていたところだったのです。
電車が満員じゃなければ、テロの警戒をしていなければ、私がホテルで少し昼寝をしていかなければ、彼女の家族がスペインから遊びにきていなければ…様々な要因が少しずれただけで会えなかったはず。本当に世界って不思議なものだな。
でも日々正直に一生懸命前向きに過ごしていれば、こういう奇跡のようなことって起こると思います。私も数年前に比べてぐっと、こういう機会が増えました。ふと考えたことは実現するし(強く思いすぎたことは叶わないようだけど)、だからありがたいな〜と感謝すると、また実現するし、の繰り返し。
去年はテロの翌日からリヨンにいたのだけど、あの頃よりさらにテロの警戒が厳しくなっていました。突然軍服の人たちが一カ所にあつまり、事件があったときに現場に巻かれるようなテープでぐるりと駅の待合室を囲み、「避難しろ!」と大柄の男性に言われたときには、動揺が隠せませんでした。ものすごく警戒している。
とはいえ、それ以外はいつもとかわらないフランス。
時差ぼけのおかげで、朝の5時頃から活動を。
異次元に行くみたいで好きなフニキュラー。
高いビルがあまりないので、空も広く感じる。
はじめてモンペリエに留学した頃は、週末に世界遺産巡りをしていました。地図もないし、フランス語もあまり話せないのに、勇気だけはあった。今年はそんな気持ちを思い出したくて、アヌシーやペルージュ、ロアンヌ、ヴァランスへ。でも今はフランス語も話せるし、トラムのシステムもわかるし、あの頃とは違う。カサカサだったスポンジが充分に水分を吸収したみたいだ。