大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」は、さすが三谷幸喜脚本。
見ごたえがある。
それはさておき、平家の滅亡について、安積艮斎は次のように書いている。
清盛が頼朝を殺さずに配流し、後に平家の滅亡を招いたというのは、大きな誤りである。
豊臣秀吉は、「平重盛がこれを諫めなかったのは不見識である」とそしった。
しかしながら、これは、楚の項羽が劉邦を殺さず、魏の曹操が劉備玄徳を殺さず、秦の符堅(五胡十六国の前秦の第三代君主)が慕容垂(五胡十六国の後燕の創建者)を殺さず、唐の玄宗が安禄山を殺さなかったのと同じで、重盛は君主の度量があったとも言える。
たとえ頼朝兄弟三人を殺したとしても、清盛が無道、一族が驕侈では、源義仲のような人も出てくる。
またさらに、頼朝のような英雄が起こるのだ。
平家は滅亡せざるを得なかった。
もしも清盛と子孫の者が恭倹の道を守り、仁政をほどこし、士民を撫愛していたら、百人の頼朝がいたとしても、兵を起こして志を得ることはできない。
その本を治めずに、ただ英雄を多く殺すのは、君主の度量ではないのだ。
重盛が長寿を保って天下を治めたならば、平家もあのような滅亡にはいたらなかっただろう。
安積艮斎の著作『艮斎間話』巻之上に載る。
もとは漢文口調の和文である。
恭倹の道を守り、仁政をほどこし、士民を撫愛すること。
このあたりが、政権持続の勘所なのであろう。