『緑筠軒詩鈔』巻二

舟門(ふなど)(ぎょ)(しょう) その二      ※波立寺に詩碑あり。

魚社訂風月   魚社に風月を(ただ)

鴎隣托釣竿   鴎隣に釣竿を托す

有詩収海嶽   詩の海嶽を収むる有り

無夢到衣冠   夢の衣冠に到る無し

遠嶼潮声落   遠嶼 潮声落ち

軽帆雨色残   軽帆 雨色残る

欲尋蓬嶋去   蓬島を尋ねて去らんと欲す

一棹水雲寛   一棹 水雲寛し     

    *上平十四寒

▭漁唱 漁夫のうたう唄。 ▭風月 詩文。 ▭訂す 正しく直す。 ▭軽帆 船足の速い帆掛け舟。 ▭一棹 一艘の舟。 

 

漁家の詩社で詩文を添削し、鴎の隣で釣り糸を垂らす。

海岳をも収める詩を作るが、高位に到る夢は見ない。

離れ小島は潮の音が静まり、帆掛け舟になごりの雨が降る。

蓬莱山(神仙世界)を求めて漕ぎ出そう。舟の行く手に海と雲が広がっている。

 

尾聯、

 

欲尋蓬嶋去   蓬島を尋ねて去らんと欲す

一棹水雲寛   一棹 水雲寛し 

 

が、古い版本(観海楼蔵『舟門小誌』)では、

 

吟瞻多費日   吟瞻多く日を費すは   

不是望洋嘆   是れ望洋の嘆にあらず

 

となっている。

 

こちらは、「海を眺めて詩作に日を費やしているのは、望洋の嘆のたぐいではないのだ」と訳す。

 

「望洋の嘆」とは、

 

偉大な人物や深遠な学問に対して、自分の力のなさをさとり、感嘆の情に堪えない時にいう。『荘子』「秋水篇」に、秋の大水で黄河が増水し、黄河の主は世界中のすばらしさはすべてわが身に集まっていると考えた。しかし東へ下って北海に至り、そのはてしない広さを見て、北海の主に嘆息しながら話しかけ、反省の弁を述べた、という。

 

後者は、福島県令三島通庸に合わず郡長を辞した賊軍の身の苦渋、さらには薩長政府への怒りをも秘めているようである。

 

前者は、世俗を超越し精神の自由の境地に至った感がある。