天保の飢饉のとき儒学者安積艮斎は、「春雪三十韻」という題の漢詩を作って、幕政を批判した。

 

この詩の60句の中に、政治批判の4句をしのばせた。

当時は文章で批判したら処罰されるので、漢詩に表した。

 

列賀巌廊叙()()   列賀巌廊 (えん)()を叙し

耦耕畦隴絶蝗螟   耦耕畦隴 蝗螟を絶つ

 

前規是日思名苑   前規是の日 名苑を思ひ

遺曲当年唱後庭   遺曲当年 後庭(こうてい)を唱ふ

 

語釈

○列賀巌廊  江戸城で行われた幕府恒例の祝賀行事への参列を示す。

○鵷鷺を叙し  鳳凰と鷺のことで、百官が朝廷に閑雅に並ぶさまを言う。江戸城の大広間に列座する大名旗本のことを暗示した。

○耦耕畦隴  農作業。

○蝗螟を絶つ  凶作。

○後庭を唄ふ  陳の皇帝は、迫りくる国難も顧みず、歌舞酒宴に明け暮れ、哀愁の歌を作詞作曲して宮女たちに歌わせた。その「玉樹後庭の花、花開くも ()た久しからず」の語は、国が滅ぶ前兆と言われた。幕府を亡国の政権と言わんばかりで、30数年後の瓦解を予見したような語である。

 

大意

飢饉で多くの人が餓死しているのに、江戸城ではいつものように行事が行われ、為政者たる大名旗本が並ぶ。

(かざ)(おり)烏帽子に直垂(ひたたれ)大紋(だいもん)を着装した閑雅な姿は、あたかも鳳凰や鷺のようだ。

一方で農民は田畑を耕すが、イナゴやズイムシもいなくなるほどの凶作に苦しんでいる。

この日、中国の陳の最後の皇帝の立派な庭園での宴に思いをはせ、今、亡国の恨みがこもった『玉樹後庭花』を歌う。

 

艮斎は、飢饉に直面しても安閑としている為政者と、苦しむ庶民とを対比した。カムフラージュして政道を批判したのだ。

外面は温厚な人だったが、内面は厳しかった。当時、働き盛りの40代。

 

「列賀巌廊叙()鷺」の補足

 

江戸城の儀式に参列する服装は、風折烏帽子(上部を斜めに折った烏帽子)に直垂もしくは大紋である。

中世の武士の服装で、江戸時代に礼服となった。

今の大相撲の行司のような恰好だが、袴が長く、城内で引きずって歩いた。鷺に似ている。

 

直垂は、四位以上の大名が着た。

大紋は、一般の大名や旗本の礼服で、直垂に大きな紋を染め抜いたものである。

 

艮斎も55歳の時からは儒学者として大紋を着て、幕府の年中行事に列座した。幕府儒官就任は60歳。

 

儀式には、二本松藩で言えば、藩主の丹羽侯と有名儒学者枠の艮斎しか入れないのだから、随分出世したわけだ。