久しぶりに 季語作文。

 

 

 

 

 

 

久しぶりなので、季語作文とは何なのかを説明すると、

俳句で使用される季語って、すごい量があり、

そのときの季節の季語を ずらーっと眺めて、

ある季語からパッと頭に連想させた思い出や出来事などを、挿絵つきで作文したものです。

 

 

 

 

 

 

作文の内容と季語の意味は殆ど関係なくて、

季語に使われている漢字や、

季語の意味と説明文の中から連想させているだけです。

 

 

 

 

 

 

 

どうして、

久しぶりに、この季語作文を書こうと思ったかと言うと、

今とてもとても ありがたいことに、

イラストの仕事の依頼が増えています。

本当にありがとうございます。

そして

忙しく絵を描けば描くほど、

”全く自由に”描いたり表現する時間が欲しくなるものなんだな・と感じています。

 

 

 

 

 

 

大槻ケンヂが、何かの本で

「自由は縛りがある中から生まれる」的なことを言っていて、

なるほど・こういうことなのかな・と、うっすら思っています。

ということは、

わたしは自由を手にしたのでしょうか。

そうか、

自由まで手にしたか。わたしってヤツは。

参ったな。

 

 

 

 

 

 

 

何のこっちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば。

 

 

 

 

 

 

 

わたしの子供たちがブレイクダンスを習っていて、

その先生が開講している40歳から参加できるブレイクダンス教室に、わたしも通っているんですが。

レッスンの後は、

みんなで先生のお店でかなり”美味しい酒”を飲むのです、

その前回の打ち上げ時に、

先生たちが可愛がっている ある高校生の女の子とカウンターで喋っていたら、

先生たちがゲラゲラ笑って

「浅井さん、ラジオかYouTubeした方がいいですよ。」と、また笑うのです。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

イジられ歴は長いですから、そのイジりが全くのバカにしているか、そうでは無いのかは、肌で解るのです。

先生は、

微妙〜な何かを微妙〜に真面目に感じ取って言うてくれてはるんやろなあと思いました。

でもラジオでもYouTubeでも無いとは思うけど。笑

何か、わたし自身が見落としている 金になるネタがわたしには、あるのではなかろうか・・・。

そんな、すぐにその気になっちゃったりした、

ある楽しい夜でした。

 

 

 

 

 

何のこっちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、話は戻り、季語作文。

 

 

 

 

 

 

 

 

といいたいところですが、

今日は、ここまでの説明で↑、

何かお腹いっぱいになったので、この記事用の挿絵でも描いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季語作文用の挿絵も描いているので、

それは次回にまわすということにします。

 

 

 

 

 

 

 

ほな さいなら。