愛読するサッカー大好き母さん\(^o^)/が、大変な苦しみに会われているようです。
心中お察しします。
そんな中、苦しみということでは勝手に自分を「苦しみのデパート」だと思っている私の苦悩学を書きたいと思います。
ブログの読者さんは、幸せな方が大半かもしれませんが、苦しいときは「こんな不幸せな奴もいるのか」とか思っていただけたら嬉しいです。
私は小学生時代、おそらくサイコパスだと思われる父親に、ありえない教育を受けました。
「喧嘩に負けたら家にいれない!」「1発殴られたら10発殴るまで家にいれない」「ライバルはどんな手を使っても蹴落とせ」と常々言われていました。
そして気に入らないことがあると、烈火のごとく怒り狂います。
子どもというのはつらいものです。
本気になったら殺されかねない大人の男が、いつも不機嫌な態度で家にいるわけです。
そしてなにより恐ろしいのが、自分の思考回路が、そういった考えに自動化してしまったことです。
私は小学生時代、学校一の嫌われ者でした。
私は感情的にはみんなと仲良くしたいのです。
ですがなんでも喧嘩としてとらえて、気に入らないことがあると喧嘩ばかりしていました。
それなのにみんなと仲良くしたいとは、意味がわからないかもしれません。
ただ子どものうちは、親の教育が絶対です。
自分の態度が周りから嫌われるということに、滑稽なことに気付きもしないのです。自分の態度をメタ認知できないからです。
おかげさまで、友達というものが学生時代には主観的には一人もいませんでした。
周りは友達だと思っていてくれていても、自分が他者を競争相手としてしか捉えていないのですから、それは自分の主観では友達はできません。
それでいて、友達ができない孤独に悶えているのでした。
そんな私にも、大学1年の頃に彼女ができました。
ただ、今思うと、このことが最大の苦しみだった気がします。
ルンルン気分は最初の3か月で終わりました。
その後はお互いに罵り合うことがどんどん増えました。
結局9年もの長い間お付き合いして最後の数年は半同棲でしたが、憎しみ合う感じになってしまいました。
結局私は「理想の女性」を、そんなものはありもしないのに彼女に押し付けて、そのギャップに不満を持っていたのでした。
そして体調不良が重なります。
大学生の頃は、呼吸するたびに胸に激痛が走っていました。病院に行っても原因不明です。
さらに小学生から続く不眠症があります。私は布団に入っても明け方まで小学生の頃から眠れないのです。今はそれで、いつも真夜中のブログの投稿ということもあります。
ということで、普通の人が活動する午前中から夕方まで、眠くてどうしようもないのです。
学生時代や社会人でも、私は結局、日中の活動時間にいかにまともに活動するかばかり考えてきました。
今も同じです。
友達はいないし、彼女がいてもむしろ絶望してしまうし、体調は常時悪いのです。
まさに「苦悩のデパート」でしょう(笑)。
ただ、私の精神を救ってくれたのは、私以上の苦悩を味わった人たちでした。
まずは仏陀です。
私は仏陀の「生きることは苦しみである」の言葉に救われたのです。
文字通り救われました。
友達がいなくて、彼女はもはや憎しみだし、体調は悪いし、自分になぜこんな不幸なことばかりくるのかと思っていたのです。
ですが仏陀は、聖なる真理の一番目として「生きることは苦しみである」と言ったのです。
つまり、人の常態は苦しみなのだということです。
「なんだ、俺は自分が駄目人間だと思っていたけど、俺が普通だったのか」と思えたのです。
仏陀の言葉はこう続きます。
生きることは苦しみである。
死ぬことは苦しみである。
老いることは苦しみである。
死ぬことは苦しみである。
愛する人と別れることは苦しみである。
憎む人と出会うことは苦しみである。
思うようにいかないことは苦しみである。
このようにして、一切の事象は苦しみである。
私は仏陀の教えに習って、現状認識を変えてみようと思いました。
そしてそれは、私の場合では『慈悲瞑想』でした。
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)私の嫌いな生命が幸せでありますように
私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように私を嫌っている生命が幸せでありますように
私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
スマナサーラ長老は「人の心はトレーニングによって改善できる」と言いました。
私にはその言葉は新鮮な驚きでした。
ですが、長老が言うことは、普通に真っ当なことだと思いました。
というのは、仏教的にはどこの世界から転生してきたかで最初からランクはありますが、それでも自分の置かれた状況で一生懸命、心を向上させればいいと言ったのでした。
少年サッカーでも同じでしょう。
リフティングをいくら練習しても10回できない子もいれば、すぐに100回以上できる子もいます。
ですがいずれにせよ、サッカーの向上には練習するしかないのです。
そしてそれは「心」も同じだと、長老は言うのでした。
私は25歳くらいから、慈悲瞑想を毎日唱えることにしました。
すると不思議なことに、友達ができ始めました。
特に社会人を経て再入学した北京大学医学部時代の学友は、私も思っているし相手も絶対に思っていると確信できる意味で「友達」がたくさんできました。
一回り年若い彼らですが、心の奥底で絆があるのがはっきりとわかるのです。
私は、苦悩を乗り越えた人の言葉が、感情としてわかるようになったと思います。
自分はまだ到底そういう偉人の域ではありませんが、いつか自分の苦悩を通じて、偉大な先人のような言葉を書ければなと思います。
フランクル。
・運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたのだから。
・あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない。何かや誰かのためにできることがきっとある。時があなたを待っている。
・ 祝福しなさいその運命を。信じなさいその意味を。
・(妻を収容所で亡くし、再婚した妻エリーへ、フランクリンが亡くなるときに残した言葉)
エリーへ
あなたは、苦悩する人間を、愛する人間、に変えてくれました。
・人間は緊張のない状態など本当は求めてはいない。心の底では目標に向かって苦闘する日々を望んでいるのだ。
藤沢周平。
路地をいくつか通り抜けて、清左衛門は大塚平八の家がある道に出た。そして間もなく、早春の光が溢れているその道の遠くに、動く人影があるのに気づいた。清左衛門は足を止めた。
こちらに背をむけて、杖をつきながらゆっくりゆっくり動いているのは平八だった。ひと足ごとに、平八の身体はいまにもころびそうに傾く。片方の足に、まったく力が入っていないのが見てとれた。身体が傾くと平八は全身の力を太い杖にこめる。そしてそろそろとべつの足を前に踏み出す。また身体が傾く。そういう動きを繰り返しているのだった。見ているだけで、辛くて汗ばむような眺めだった。
つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波打っていた。清左衛門は後を振りむかずに、いそいでその場をはなれた。胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。
ーそうか、平八。
いよいよ歩く習練をはじめたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽して生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。
家に帰りつくまで、清左衛門の眼の奥に、明るい早春の光の下で虫のようなしかし辛抱強い動きを繰り返していた、大塚平八の姿が映ってはなれなかった。今日の日記には平八のことを書こう、と思った。
(『蝉しぐれ』の最後の場面)
・どうせ人生の本質はつらく、人間は孤独なぐらい百も承知している。
・飯の糧にならないことが、心の糧になる。
・私は所有する物は少なければ少ないほどいいと考えているのである。物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終ることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する。