ブログ1000記事について。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 私はまったく知らなかったのですが、前々回の記事で1000記事を書いたようです。

 愛読しているサッカー大好き母さん\(^o^)/さんに、コメント欄にて教えていただきました。

 思えば私が初めてブログを書いたのが↓で、2017年のことです。

 

 

 当時は北京大学医学部2年生。

 社会人を経ての再チャレンジでした。

 理系科目や医学科目は点数が良かったものの、中国語がなかなか上達せず、苦闘していた時期でした。

 その頃は、医学部を卒業できる気がしませんでした。

 中国語のレベルがいまいちで、医学部の勉強自体がめちゃくちゃきつく、毎日寝るとき以外は勉強している感覚でした。

 ですが、結局卒業できてしまいました。

 しかも自慢ですが、医学部6年間成績優秀者でした。

 

 その後体調を崩し(今も体調は良くないですが)紆余曲折を経て少年サッカーコーチに復帰し、サッカーについてブログで書くようになりました。

 そしていつの間にか1000記事を達成してしまったということです。

 

 私は考えてみると、ちょっと感慨深いのです。

 というのは、生命の本質はすべて記憶されているということが、ネット社会の出現によって証明されつつある気がするのです。

 ネットに書けば、ネットがあるかぎり永遠にその人の文章は残ります。

 ただ、今までそういう環境がなかったというだけで、おそらくその人の生きたすべてはどこかに記録されているという奇妙な感慨に、私は捕らわれています。

 30歳を過ぎてから医学部に入ったということで、しょっちゅうブログに「挑戦することに遅すぎるということはない」ということを書いていました。

 私のような境遇の人はあまりいないと思いました。

 つまり、30歳を過ぎてから医学部に入り直すということ自体が希少なのに、さらに縁もゆかりもない中国の医学部に行くということが、ほぼありえない人生選択だと思いました。

 そういう人生選択をしたとき、私はブログに記事を残そうと思いました。

 世界中で一人でも、私のような悩みを抱えていて、そして私のブログを発見してくれたら、それはうれしいことだと思ったのです。

 同じ様に、少年サッカーコーチに復帰して、自分がやってきたことを残そうと思いました。

 そう思って練習方法などは具体的に文章化できる限界まで、細かく書いているつもりです。

 おそらく私が書いていることは、良し悪しはおいといて、非常に独特だと思っています。

 ということは、私のような感覚を持った人が、いつかコーチをやるとなったときに、1人でも私のブログを読んでくれたら、私は意味があると思うのです。

 

 勉強についても、いろいろ書いています。

 これも、せっかく私は勉強ができるように生まれついたので、神に感謝しつつ、自分なりに「こうしたら勉強ができるようになるよ」ということを書いてきたつもりです。

 みんなが勉強をできるようになってほしいし、ぜひ勉強は楽しいものだと思ってほしいのです。

 勉強は楽しいのです。

 

 1000記事もブログを書いたということで、思いを書かせていただきました。

 私だけではなくて、誰しもが必ず死にます。必ず死ぬのです。

 お子さんに夢を託しても、そのお子さんもいつか必ず死にます。

 「死」は生きる上で、大前提の、必ずやってくるものです。

 私は必ず死ぬ自分がブログを書くとしたら、読んでくれた方が、現世で少しでも役に立つことを書きたいと思っています。

 そして、私は「必ず私は死ぬのだ」ということで、けっこう必死にブログを書いている気がしています。

 そして、私はブログを書いてよかったと思っています。