日本的な伝統。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 ↓で超名門の流経大柏の監督が、3本目のチームの選手たちに厳しい言葉をかけています。

 そして那須さんも同じような言葉をかけています。

 

 

 私はもちろん流経大柏が出している結果は素晴らしいと思いますし、那須さんのyoutubeも楽しく拝見しています。

 なので、今日この動画をあげたのは、個別的ということではなくて、日本全体で「厳しい組織」というのは、こういうものだと思うのです。


 そうしたなか、私は↑のような感じが生理的に嫌です。あくまで私の生理的に嫌というだけで、善悪を言っているのではないです。

 私からすると、たとえば↑の監督さんと生徒の感じを、企業の部長と部下に置き換えますと、異常に思えるのです。

 ↑を部長に置き換えるとこういった会話になるでしょう。

 「おまえは営業やってていつ契約取ってきたんだよ。取れないから冷遇されてんだろ。だったらそこで頑張ってみろよ、あがいてみろよ」

 気持ちはわかります。

 ですが別にその部長がその社員を雇っているわけではないし、双方納得した上で雇用関係を結んでいるのです。

 それに部下の能力不足を上司がなじる権利はありません。

 

 私がけっこう昔から日本での現場で嫌なのは、機能的なものに情念がやたらと入ってくるのです。

 たとえば「熱血教師」がいます。

 私の身の回りにもたくさんいました。

 共通点は、自分の信念が世界の真理だと思っているのです。

 ある理科教師は「理科ノート」と称して、重要部分を一字一句すべて写して提出することを要求しました。

 私はあまりにもばかばかしいと思ったので、宿題提出を無視しました。

 英語ならまだわかりますが、理科でそんなことをする必要はまったくないでしょう。

 私は北京大学医学部時代、物理化学で成績優秀者でしたので、その理科教師よりは理科に対する造詣はさすがに深いでしょう。

 その今の観点でも、その理科教師の宿題の出し方は、まったくの無駄だと思います。

 理系はそういったものではありません。観点がまったくずれていると思います。

 そしてその理科教師は、私が定期テストで90点以下を取ったことがないにも関わらず、成績に「3」をつけてきました。

 たとえばその理科教師が「自分は宿題の提出物の成績の割合を〇〇%にする」と説明していれば、納得できたのです。

 ですがそういう説明なしに、いきなり「3」をつけたことには、今でもおかしいと思います。

 というのは、その理科教師は根本の部分で「生徒を未熟な子ども」だと思っているのです。

 無意識でしょうが、相手が子どもだから、自分は理科という科目を超えて、人生をも教えられると思っていたのでしょう。

 きっと「おまえ、俺が成績3をつけた意味がわかるか、ちゃんと考えろ」とかだと思います。

 ですが私からすると、冗談ではないのです。

 たまたまそのときは私の年齢が低くて中学校に通っていたから「子ども」であり「生徒」でした。そしてその理科教師は「大人」であり「教師」でした。

 ですがそれ以上でもそれ以下でもないのです。

 私より能力が低い人に、その人のわけのわからない情熱で意味のわからない評価をされるのは、本当に冗談ではないのです。

 

 そういったものは、私は世の中のすべての人間関係に言えると思います。

 ですが、もっと前提にあるのは「人間対人間」です。

 私は一世代前の代表的知識人の吉本隆明先生が好きです。

 娘が吉本ばななさんですが、この親子関係がおもしろいのです。

 というのは、吉本隆明先生自身、娘のばななさんを、どこか「他人」と思っているところがあるのです。

 他人といいますか、対等な人間が、ただ同じ軒下に暮らしているという感じです。

 これは、吉本ばななさんと河合隼雄先生の共著『なるほどの対話』に確かあったと思います。

 親である吉本先生は、自分の方が絶対的に正しいとは思っていないということです。

 

 私はたびたび書いていますが、昔塾で教えた子たち3人と、年に一回は飲みに行っています。

 今年はおもしろい企画があります。

 それぞれメンバーの担当回があります。

 そのときは、ホスト役が自分の地元でお勧めのお店を予約してそこで飲み、その後自宅訪問というものです(笑)。

 今月中に第1回があるので、楽しみです。

 そういう飲み会が続いているのは、単に彼ら彼女ら3人がいい奴だということが絶対的だと思います。

 それと同時に、私は「先生として」みたいなことは何も言わないからだと思います。

 といいますか、塾で教えていた時代が終われば、私は先生でもなんでもないのでそれは当たり前のことです。

 今では単に、死ぬまで一生懸命生きる仲間、友達だというだけです。

 私たち4人は「毎年やろう」と言っています。

 こうなると、私がいつまで生きられるかですが(笑)こんな素敵な「友人」ができたことを嬉しく思います。

 

 私はそういった意味では、愛読しているドングリパパさんと息子さんの関係がたまらなく好きです。

 

 

 勝手に引用させていただきすいません。

 ↑を読んでいただきたいと思います。

 ドングリパパさんは、息子さんを別人格として見ている感じがあります。

 なりゆきで自分と暮らすことになったけど、こいつおもしろいな、的な感覚を感じます。

 これは完全に、吉本隆明先生と吉本ばななさんの関係だと思いました。

 ですが、実はこれはべたべたするよりも、さっぱりしていて、でもめちゃくちゃ深い、素晴らしい関係なのだと私は思います。