タルムードとは、ユダヤ教の聖典です。
ユダヤ教はユダヤ人が信仰している宗教です。
ユダヤ人思想家レヴィナス研究の大家である内田樹先生は、ユダヤ人にははっきりした定義はないけれど、ユダヤ教を信仰している人をユダヤ人と言っていいのではないかといっています。
そしてユダヤ人は1000万人ほどしかいないにも関わらず、自然科学系のノーベル賞受賞者の実に20%を占めると言われています。あの有名なアインシュタインもユダヤ人です。
金融の分野では、世界の富の半分を所有していると言われたロスチャイルド家はユダヤ系です。ザッカーバーグやブルームバーグもユダヤ人です。
ユダヤ人が学問の世界でも金融の世界でも飛びぬけて成功しているのは、ユダヤ教やタルムードに理由の一因があるのではないでしょうか。
そしてタルムードの作りが本当に不思議なのです。当代随一のユダヤ教のラビが議論して生き残った言葉がどんどん付け加えられていくといいます。
そして内容も非常におもしろいのです。
私が印象に残ったものを書いてみたいと思います。
すべての人に対して一様に親切な者は、たいていはまた、すべての人に対して一様に不親切である。
このことは、けっこう誰しも思うのではないでしょうか。自分に対しても誰に対しても親切でも、苦境のときにそういう人は知らんぷりだったりします。あくまで自分の経験ですが。ですが一見そりが合わないような人が助けてくれたりするのです。
もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら、まず金、宝石、家、土地を売りなさい。最後まで売ってはいけないのは本である。
ユダヤ商人の能力は所蔵している本の冊数に比例するといわれるほど、本を読まないユダヤ商人など考えることはできない。ユダヤ商人なら、全員が本を読む習性を身につけ、自宅には相当な数の本を集めた書庫か書棚をかならず持っている。もちろん、本といっても良書でなければならない。
ユダヤ人は命の次に知識を大事にするようです。そのような格言は本当に多くあります。
日本では「勉強よりも大切なものがある」的な風潮ですが、ユダヤ人にとっては「勉強こそが最も大切である」ということのようです。どちらが正しいとかではないと思いますが、私はどちらかといえばユダヤ人寄りの考え方をもっています。
サッカーだって学習だと思います。私はたびたびサッカーについてマニアックなことを書いていますが、実践的かどうかはしばしば度外視して書いています。サッカーについて研究すること自体が楽しく、理論的に何かをつかんでおけば、なにがしかの役に立つだろうという考え方です。
賢い人はアイディアを語り、普通の人はモノについて語り、愚かな人は他の人について語る。
これは本当になるほどなと思い、自分でもなんとかアイデアを語れるように心がけています。
両親が家で話すことを、子供が街で話している。
これはけっこう恐ろしい言葉だと思います。どこか真理に触れるような言葉は恐ろしさを秘めていると思います。
少年サッカーを見ていても、子どもの話す内容や態度は、親御さんの試合での応援態度や言葉と似ていると思うことがよくあります。子どもが素直で賢いと、例外なく親御さんは品格ある方でした。あくまで私の経験ですが。そう書くと「親が悪いと子どもも悪いのか、そんなのおかしい」という意見が必ずあるのです。ただそれでも、感情の部分で不快でも、その可能性はあるのです。勉強の出来不出来は結局は遺伝であると言われれば、勉強が苦手な子や親御さんにとって不快でしょうが、不快だからといって真実でないことの証明にはなりません。こういった意味で、深層的な言葉は恐ろしいのです。なので普通は「がんばればなんとかなる、結局はやらなかっただけだからもっとがんばれ」という言葉で、うやむやにするのです。
ただ、私はむしろそういう助言の方が残酷な面がある気がしています。勉強が苦手な子が1日15時間10年勉強しても東大には合格できないと、私は思います。もしかしたらその子にとって不可能なことを「やればなんとかなる!」と言っている可能性があるのです。それはけっこう残酷なことだと思います。繰り返しますが、これは非常に恐ろしい話題です。
『賢人になる七つの条件』
①自分より賢い人がいるときは沈黙
②人の話の腰を折らない
③答えるときにあわてない
④常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする
⑤まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする
⑥自分が知らないときはそれを認める
⑦真実を認める
この言葉は、とても印象的で実践しようとしています。とくに①です。
少年サッカー界でいえば、尊敬するM監督やA監督と試合会場で話すとき「○○はどういう感じですかね」と話を振り、あとはM監督やA監督が話すことを黙って聞いています。特にA監督は話し出すと止まらないので、30分以上独演会になることもありますが(笑)むしろ私としては学ぶチャンスだということで、黙って聞いています。
あとはこういう場では「でも私はこう思う」ということは絶対に言わないようにしています。自分の意見を主張する場ではなく、自分より賢い人から学ぶ場だからです。
安息日をおぼえて、これを聖なる日とせよ。六日間は働いて、あなたのすべての仕事をせよ。第七日目はあなたの神の休息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。
ユダヤ人が安息日を守ってきたというよりも、安息日がユダヤ人を守ってきたのだ。
これは以前に書かせていただきましたが、週1回は完全オフを作るということです。
私は医学部時代に実際にやってみて、成績が上がりました。けっこう具体的に効果があることだと思います。
あいまいな友人であるよりも、はっきりとした敵であれ。
偉大な人間には、偉大な敵がいるものだ。
議論好きと言われるユダヤ人らしい言葉だと思います。
ある笑い話に、ユダヤ人に挨拶で「今日は天気がいいですね」と話しかけたら「なぜ君は会話の冒頭に天気の話を持ってくるのか、その意図は?」と聞き返されたということです。日本人とは感性がまったく違うのは確かなようです。
砂漠を旅する者は、星に導かれて進む。星に向かって歩んでいく。星に到着することはないが、星に近づくことによって、目的地である街に着くのだ。人がそれぞれ掲げる理想は、星のようなものである。
無宗教の人が多いと言われる日本人は、誰かが不祥事をやらかすと「あの人はクリスチャンなのに」とか言ったりします。
ですがクリスチャンといっても、キリスト教の「星」を目指して進んでいるのであって、そこに到達していないから不祥事をしでかすのは当然なのだと思います。
仏教で掲げる目標も同じようなものです。
仏教戒律の第一番目は「汝殺すなかれ」です。
ですが肉を食べるためには動物を殺さなければなりません。ベジタリアンといっても植物を殺しています。
つまり生命は他者を殺すことによって成り立っています。
つまり「汝殺すなかれ」は実現不可能なんだけど、それでも目指すべき「星」のようなものなのです。
そして仏陀の答えは「できるだけ少食にしなさい」だったり「漁師は余分に獲物を獲ってはならない」ということなのだと私は思います。