ドリブルとパスの本質。 | 徒然に。

徒然に。

思ったことを気ままに。

 前回のブログで「ドリブルで相手を見て抜ければ、パスでもいいパスを出せるようになる」といった持論を書かせていただきました。

 というのは、ドリブルもパスも、ポイントは同じだと私は思っているのです。

 まず↓メッシ動画です。

 

 

 左利きのメッシは、右に抜くときは、相手を中心にして円運動を描くように右周りにドリブルします。そして相手の進路の前に入るような形で抜いていきます。

 対して左に抜くときは、右に行くふりをして相手の逆を取ります。

 そしてボールを出す・受けるのときも、私は原理は同じだと思っています。

 先日行われたマンチェスターシティの試合で、ハーランドが5点取ったシーンを考えたいと思います。

 世界最高のストライカーといわれるハーランドと、世界最高の司令塔といわれるデブライネのプレーです。

 

 

 42秒です。

 ハーランドはディフェンダーの背中を取って、そのディフェンダーとキーパーの間のファーサイドでボールを受けるフェイクを入れます。

 デブライネはそのときに顔を上げて、ゴール前の状況を見ています。映像で見るかぎり、ハーランドがフェイクを入れて、ニアに入ってくる瞬間を見ていたかどうか、くらいだと思います。

 そしてこのとき、ディフェンダーはハーランドのフェイクにつられて1歩、ゴール方向に下がっています。

 その瞬間、ハーランドはディフェンダーの前に入り、デブライネはドンピシャのタイミングでパスを入れました。

 私はこのプレーは、メッシが左に抜く感覚と同じだと思っているのです。

 つまりデブライネもハーランドも、ディフェンダーが1歩ゴール方向に下がったのを見ているのです。

 見ているといいますか、私の推測では、ハーランドはフェイクを入れた瞬間、必ずディフェンダーはそういう動きをするのだと半ば決め打ちしているのだと思います。デブライネもハーランドがフェイクを入れればディフェンダーはこう動くからここのスペースが空くよね、だからそこに蹴ればいいよね、といった決め打ちの要素もあると思います。

 それでも本質は、ディフェンダーの逆をつくということをやっているのです。

 日本でよく言われているように「味方にクロスを合わせよう」とは違った感覚です。

 そして私はこういった相手の逆を取る感覚は、発達段階としては個人でできるドリブルでまず身につくと思っているのです。

 

 1分38秒です。

 ハーランドはデブライネにボールを落とし、横方向に数歩走ります。

 ちなみにこの動きはサッカー用語で言う「プルアウェイ」に近いものです。相手に近づき、急激に相手から離れます。

 フォワードをやる選手は、この動きの習得は必須だと思います。

 ディフェンスライン上を横、もしくは斜めに走る動きです。

 なぜ大事かといいますと、オフサイドにならないからです。パスの出し手とディフェンスラインを見ながら斜めに走る身体の向きを作ることが大切です。

 ↓ボカジュニアーズジャパンの27秒のような練習は有意義だと思っていて、自チームでもシュート練習ではよくやっています。

 

 

 話を戻します。

 パスを受けたデブライネは、ハーランドとディフェンダーの間を通るようなパスを選択します。

 これはメッシが右に抜く感覚と同じです。

 私はこのパスを通せる選手こそが一流だと思っています。

 フォワードが横に動いて、ディフェンダーとの間にできたスペースに速いパスを通すのです。

 そしてこのパスを体系立てて練習しているのが風間八宏さんです。

 ↓5分6秒からです。

 

 

 

 さらに話を戻してハーランドとデブライネ動画の4分5秒です。

 ハーランドはディフェンダーの背中側から円運動で回り込んでいます。

 メッシの右に抜くときと同じです。

 よくフォワードの選手で、ニアでボールを受けたいから一直線に入る選手がいますが、それは修正した方がいいと思います。

 相手の背中から回り込むことが大事です。背中から回り込めば、駆け引きができるのです。

 ハーランドの1点目のように、行くふりをして戻ることもできるし、そのまま行くこともできます。

 

 4分30秒です。

 「ディフェンスライン上を横に動く」「ラインとパスの出し手を見れるように半身をとる」といった、理想的なボールの受ける準備をハーランドはしています。

 

 ハーランドは、身体が大きく強くスピードもあるので、持って生まれた身体能力だけで点が取れていると思われがちです。

 ですが、ハーランドは「駆け引きの天才」なのだと私は思っています。

 ハーランドは、クロスに合わせるという場面で、メッシがドリブルで抜くのと同じレベルのことをやっているのだと私は思っています。

 

 最後に。

 私が「○○がおもしろいと思う」的なことを書くと、私の主張を否定する主張をブログに書く方がいます。

 私の被害妄想かもしれませんし、それはそれでいいのですが、明確な根拠なしに、他者の考えを否定するのは「大人」のすることではないと私は思っています。

 ご自身の主張をなさればいいのであって、他者の意見を否定するのは、その他者の主張が法律に違反しているのでもないかぎり、積極的にすべきではないと私は思います。

 もちろんその方にも言論の自由があるので、直接その方のブログに書くことは絶対にしません。

 ただ、私が自分の主張をするのも同様に私の自由でしょう。

 そしてその方が公開されているブログを読んでも、いまいち主張の優位性がわかりません。

 その方の主張で上手くなった方はいるのでしょうが、同じように違った主張で上手くなった子もたくさんいます。

 現に市内でも弱小チームで私が指導した30人弱のうち、関東大学リーグキャプテンと副キャプテンが出ています。レベル的にはプロ一歩手前です。その一人は市内で文字通り最下位になった代からでした。

 その市内最下位だった代6人からは、関東リーグ所属チームに2人合格しています。

 それなりに育成年代のサッカーに詳しい方だったら、けっこう奇跡的なことはわかってもらえると思います。

 ということは、結局、ユングが言ったように「どの人にも合う靴はないのと同じように、誰にでも合う人生の処方箋はないのだ」ということでしょう。

 そうであるならば、大切なことは「私の意見は正しく、他者は間違っているから私の主張通りにしなさい」ではなくて「私はこう思う、もし試してみてくれたらうれしい」という態度でしょう。

 つまりブログでサッカーの技術戦術論を語るならば、いろいろあるサッカーの見方を世間様に提出している、ということでいいのだと思います。

 さらに、人様に読まれるブログという媒体に書いている時点で、人に読まれる快感はあるわけです。

 私は少数のマニアックな層に読まれたい方だし、たくさんの人に読まれたい人も当然いると思います。

 ただどちらにしろ、相手を否定するのはマナー的によろしくないと私は思っています。

 その方は最近非公開の記事が多いようですが、私の希望としてはぜひ公開いただいて、ご自身のコアな意見を世のサッカーマニアに寄与いただけたらこんなにうれしいことはありません。

 もう情報を隠して自分のものにする時代は終わったと私は認識しています。

 基本的には情報はオープンリソースにした方がいいのだと私は思っています。

 私が思うのは、日本人はその辺の感覚を変えていくべきではないでしょうか。

 たとえばサッカーが下手な息子がいる父が、息子と毎日自主練しているとします。ですが息子がサッカー下手なものだから、自身のブログで練習内容を公開することを躊躇う、といったことが日本ではありがちだと私は思っています。

 ですが、そのような心配は無用だと私は思っています。

 というのは、私が思うに日本人は、人間同士の差異があまりに大きいと思いすぎるのです。

 私に批判的な記事を書いている(と私が思っている)その方は「元プロ信者」だと私は認識しています。

 その方の認識では、サッカーの要素が100あるとすれば、元プロが90以上で少年団のパパコーチは10未満だという認識だと予想します。

 ですが私はまったく違った認識を持っています。

 もしサッカーの要素が100あるとすれば、サッカーの神がわかっているのが100、メッシが5、ハーランドやデブライネ等々が4、それ以外はせいぜい3~1でしょう。

 将棋界の頂点を極めた藤井聡太名人・竜王が「将棋の神髄が富士山の頂上だとして今ご自身はどの辺まで来れたかと思うか」と問われ「樹海をさ迷っている感じです。頂上はまったく見えません」と答えました。

 私はどの世界でも、人間はその世界の頂点に比べればせいぜい5%くらいしかわかっていないと思っているのです。

 

 つまりは、人間界の多少の上手い下手など、大した差異ではないと私は思っています。

 だからこそ、どんどん自分の思っていることを発表すればいいのだと思います。

 問題なのは「総理大臣をやったこともないのに、総理大臣を批判するな」的な心の在り方だと思います。

 それはそのまま「サッカー経験がないのに、サッカーについて意見を言うな」になります。

 そんな言説は意味がないことは、誰でもわかることだと思っています。